2024年12月20日
(杜氏の郷、岩手県石鳥谷)
現在もモダンなお店が軒を連ねる上野駅ですが、
かつてはまた少し異なる趣に満ちた場所でした。
旅情と言うのか、人々の心に想い出を刻むのを助けるような
言葉に表現できない何かが存在していたのです。
上野駅は1883年の開業ですが、
特に1945年の終戦以降はさまざまな記憶を焼き付けてきました。
たとえば、1964年の大ヒット曲『あゝ上野駅』は
この曲でブレイクした歌手・井沢八郎さんご自身の境遇も重なる
中学卒業者の集団就職列車の様子を歌ったもので、
今でも多くの方々によって歌い継がれています。
〽どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった
電車の中であることも忘れて歌っている自分にハッと気付き
恥ずかしくなったりして。
アメ横も、以前と比べると雰囲気そのものが大きく変わりましたね。
私も、人生の転機から、はや70年もの歳月が過ぎ去りました。
そしていま、私は上野駅からすぐ近くのオフィスにデスクを構えています。
言うなれば「上野はおいらの心の駅」かも知れません。
そんなこともあり、陸奥へひとり旅をする時は、上野駅から乗車します。
私は今月で86歳と5か月になりますが、
あまり自分の年齢を顧みることなく行動しがちです。
と言いますか、むしろ自己評価は「まだまだ若い」ですので
いまでも時おり各駅停車のひとり旅を続けています。
私の人生は、旅で始まり旅で終わるのかも知れません。
そんな気分で、電車に乗ってしまってから行き先を決めることも
たびたびあるのです。
(石鳥谷駅)
私は岩手県の小駅、石鳥谷(いしどりや)駅に到着しました。
陸奥・岩手のあるお方から「花巻市の石鳥谷は南部杜氏の故郷」と教えていただき、
「岩手の誇りを探す」として、今回の旅先は石鳥谷です。
岩手県と聞いてポンと思い浮かぶのは、個人的には宮沢賢治のイーハトーブ。
言葉の語感も意味合いも、ずっと昔から興味を惹きつけられてきました。
でも、それだけではありません。
岩手と聞くだけで、魂が揺さぶられるような思いに包まれます。
豊かな海岸線に面し、内陸では果物王国で、気候に恵まれワイナリーも数社。
聖なる山、大岩山から湧き出るお水『仙人秘水』は、
日本を代表するナチュラルミネラルウォーターとも呼ばれる品質です。
岩手の水の素晴らしさについては、ドジャースの大谷翔平選手も語っていましたね。
実は、岩手県は素晴らしい水処と言っても過言ではないかも知れませんね。
さて、ここ石鳥谷駅ですが。
かつて、この駅は早池峰山へ登る旅人たちの出発駅だったそうです。
同時に前述の通り、石鳥谷町は南部杜氏の故郷。
南部杜氏と言えば、日本三大杜氏の一角として知られていますね。
(日本の酒を変えた男 照井堯造)
國酒の神様についてはこのブログでも触れてきましたが、
酒造りの責任者である杜氏は神様以上に大切な仕事を司る役職でした。
全国を巡る旅ではあちこちで「酒饅頭」をご馳走になりましたが、
ここ石鳥谷で味わった砂田屋さんの酒ケーキの味も最高でした。
言葉で説明しなさいと言われても、この美味は表現できそうにありません。
ケーキを食べているのに、酒を愛でているような気分になれたのです。
まさに日本酒の世界に溺れているような、何とも幸せな時間でした。
(石鳥谷、南部杜氏伝承館)
ここ石鳥谷には、杜氏の伝承館も存在します。
あとは、立地的にはちょっと郊外になりますが、湯量豊かな鄙びた温泉宿も。
また、岩手県にはワイナリーもかなり増えています。
すべてをじっくり廻ろうとすると、一週間以上は掛かるかも知れません。
…いや、それはいいかも。廻ってみますか?
運転手が必要になりそう。山背風や雪を避ける日程を組まないといけませんね。
日本酒や葡萄酒の地元で、その文化や歴史に触れる旅は、楽しみの連続です。
祭りや神事、地元ならではの仕来たりなんかも訪ね歩きたいところです。
そう言えば、お隣りの紫波(しわ)町って……名前からして綺麗ですよね。
そうか、紫波はあの野村胡堂先生の生誕の地だ!
銭形平次に逢えるかもしれないぞ!
ん? 紫波? もしかして、源氏物語とも関係あるのでしょうか。
これは後で調べてみないと…と思いつつ、今宵は石鳥谷に泊まります。
街の近くをゆったりと流れる北上川。自然とあのメロディが横切ります。
〽匂い優しい 白百合の
濡れているよな あの瞳
想い出すのは 想い出すのは
北上河原の 月の夜
『北上夜曲』を口ずさみながら、静かな夜の街を彷徨い歩く私。
時代の中に迷い込んで歌人・若山牧水とご一緒したら
彼はどんなことを仰るのでしょうか?
もしかしたら、「酒は細雪の降る今の季節が最高かも」とか?
あるいは、ご一緒するのが種田山頭火なら?
もちろん、『よい宿で どちらも山で 前は酒屋で』でしょう!
さてさて、今夜はもう少し陸奥・岩手は石鳥谷の夜を彷徨いますか。
イーハトーブの世界への入り口が見えて来るかも。
もしかしたら『bar 理想郷』なんてお店を発見できるかも知れませんよ。
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
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【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
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【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
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【65】もう二度と出逢えないパリのワイン蔵
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2024年12月20日 発行
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