2024年9月6日
現在86歳、長〜い時間にわたって人生を体験していますと、ひょんなことから新しい出逢いや歴史に触れることがままあります。
あれは6〜7年も前になるでしょうか。ワイン好きの知人に連れられて会員制レストランを訪ねた折に知り合ったWさんとは、客とギャルソンの関係に留まらない友情を育むことができました。ワインが取り持ってくれたご縁で、一期一会という言葉の意味を噛みしめたものです。
彼は岐阜県のご出身。長良川の上流、津保川の畔にある地なので、季節になると毎年、釣りたての新鮮な美味しい鮎を頂戴します。それを爽やかな北海道仁木町旭台の恵まれた葡萄園「仁木ヒルズワイナリー」で産出される白ワイン、アッサンブラージュネイロ(assemblage Neiro)とともに愛でると、思わず「人生は芸術だ」と叫びたくなります。
岐阜県と言えば、刃物の町・関市が誇るカスタムナイフ職人として世界的に知られる原幸治さんの取材旅行に出かけたことがあります。その折、美濃太田駅から長良川線に乗り換えて3つ目の駅名に驚きました。「次は富加、富加」と二両連結の車内案内が流れ、「えっ、富加町ならWさんの町じゃないか」と。そして、停車して目に入った観光案内看板の文字に興味を抱きました。そこには、こう書かれていたのです。
『日本最古の戸籍ゆかりのまち 富加町』
たまたま目に入った歴史エピソードの予感に居ても立ってもいられず、帰京後、改めて新幹線で再び名古屋へ。乗り換えて岐阜駅から美濃太田へ、そこからいくつかの駅を過ぎて富加の地へと向かいます。
人口5,726 人(2024 年6月現在)ほどの小さな町、富加町での第一歩。初めての訪問地では、好奇心で昂る胸に「落ち着け、落ち着け」と言い聞かせながら歩くのが、私のいつもの習慣です。駅前通りにある和菓子屋さんで鮎の形をした鮎餡をいただき(美味い!)、知らない町を彷徨い歩く至福のひととき。自宅では毎日5,000歩の健康歩数を心がけていますが、あっと言う間に追い越して、初日から倍以上の距離を歩いてしまいました。
なぜか芭蕉になりきったり、時には種田山頭火のようになったり。見知らぬ歴史の里で旅人になる時間は、自分の年齢を忘れさせてくれますね。さあ、さらに2日間の時間をかけて、ゆっくりと歴史あるこの町を彷徨ってみますか!
富加町の前身である富加村は、昭和29年7月1日に富田と加治田の両村が合併される形で生まれたそうです。村名は、かつて此の地域に存在した「富田荘圓」から授かったとか。昭和34年9月26日に襲来した伊勢湾台風では甚大な被害を被りましたが、昭和49年7月1日の町制の施行で富加町が誕生します。
町役場を訪ねると、さっそく「これは奇跡か」と声を挙げたくなる出来事が。この日はちょうど町長選挙が終わったばかりのタイミングで、ご挨拶にあがる機会に恵まれました。町長さんのお名前が件の友人・Wさんと同じ苗字だな〜と思っていたら、お名詞を頂戴した際、渡邉圭太町長ご本人から「私の弟が大変お世話になっているそうで」とのお言葉が!不思議な巡り合わせにただただ驚きましたが、これもワインのご縁であるわけですね。
一瞬にして富加の町を大好きになったところで、さぁどこから仕掛けましょうか。まずは町の長老の皆さんにご挨拶したいな、できれば地元の歴史研究家の方にもお目にかかりたいな…と、いつもの好奇心さが頭をもたげます。里山の趣豊かな富加町は、古代米の黒米や赤米、胚芽米などお米の生産地としても有名とのこと。お酒は大丈夫かしら?ありました!松井屋酒造所というかなり歴史のある蔵元のようです。
訪問先選びで楽しく悩む私でしたが、何と町長のお父上様・渡邊謙太郎さんが2日間、隈なく案内してくださるとのこと!しかも、渡邊さんはご自身が地元・富加町でも有名な郷土史研究家ですので、まさに願ったり適ったり。何という幸運でしょうか。
そんなわけで、まずは富加町郷土資料館をご案内いただき、ご指導を仰ぐことにしました。何はともあれ、今回の旅のきっかけになった「日本最古の戸籍ゆかりのまち」の由来が気になりますよね。そこで、富加町の象徴となっている半布里戸籍(はにゅうりこせき)について教えていただきました。
大宝二年御野國加毛郡半布里戸籍(みのこくかもぐんはにゅうりこせき)は、奈良時代の702 年(大宝2年)に作成された戸籍。現存品では日本最古で、半布里は地名で現在の富加町にあたるそうです。下は写しですが、原本は何と奈良の正倉院に残されていたとか。
(大宝2年御野國加毛郡半布里戸籍の写し)
この資料に出会えただけでも旅の成果ですが、加えてあの京都の音羽山清水寺と同じ時代の創建という白華山清水寺にも驚かされました。また、富加町高畑の海老山(惠日山)遺跡では、約1万1千年前の先土器時代を中心とした膨大な数の石器などが出土しています。ちなみに、この地には後に織田信長が堂洞城を攻める際に本陣を置いたとされていますが、今回の旅では信長や齊藤龍興、長井隼人、斎藤新五利治等の物語は敢えてスルー。豊かな歴史文化遺産の薫りに加え、富加の皆さんの優しさと空気の美味しさにすっかり酔い痴れてしまったのです。
今回の旅では、「ワインの真髄を知るには、あらゆる角度から歴史に触れて学ぶことも大切」と教わりました。小さな町ですが、2日間では学び切れない、味わい切れない魅力に溢れた富加町。ぜひ再訪してみたい町のリストに書き加えることになりました。
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
【35】軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン
【36】ドイツ・ミュンヘンの名物イベントに想いをはせて
【37】伊豆、とある館にひそむ物語
【38】旅は人生そのもの、柔道とワインの達人との一期一会
【39】初めての出会いから60年余。いまこそ、贈りたい言葉
【40】「運命」を感じに、部屋の中から壮大な旅を
【41】雪の向こうに見えるもの。川上善兵衛に、改めて敬意を。
【42】散切り頭を叩いてみれば…明治は遠くなりにけり
【43】風の道、森の恵み…ワイン造りに大切なもの。
【44】風は淡い緑色…茶の安らぎを求めて静岡県島田市へ
【45】なくても生きてはいけるが、なくては人生じゃない。
【46】北海道・仁木町の雪は、葡萄とヴィニュロンの心強い味方。
【47】偉人たちが贈った賛辞とともに、ワインを愛でるひととき。
【48】木は日本の心、櫛は心を梳かす…秋が深まる中山道の旅。
【49】千年後に想いを馳せて、イクアンロー!北海道・阿寒のワイン会。
【50】葡萄が「えび」と呼ばれた時代を偲んで…「本草学」のススメ。
【51】カスタムナイフの巨匠は、なぜ「栓抜き」を手がけたのか。
【52】夢の中に御出現! 摩訶不思議な鳥居をめぐる京の旅
【53】明言、金言、至言…先人の御言葉とともに味わう春のワイン
【54】日本の酒文化のルーツは?古の縄文時代を目指す想像の旅
【55】一杯のワインとテディベアが、世界平和に役立ちますように
【56】チリで、フランスで、北海道で。出逢いに導かれた84年。
【57】神話の里、日本一の庭園を擁する美術館への旅。
【58】ワインを愛でる前にそっと心の中で「五観の偈」を思い出してみる
【59】毎年恒例の「北の大地」への旅、今年も学ぶこと多し
【60】一人の女性画家の世界観を訪ねて、春近き箱根路の旅。
【61】大都会の静寂の中で思うこと。
【62】1960年代、旅の途中で出会った名言たち
【63】北海道・常呂で出会った縄文土器、注がれていたのは?
【64】ワイン好きならぜひ一度、北海道・仁木町のワイナリーへ
【65】もう二度と出逢えないパリのワイン蔵
【66】訊いて、訊かれて、60年余。「ワインって何?」
【67】もう少し彷徨いましょう。「ワインとは何か?」
【68】雪の山形、鷹山公の教えに酔う
【69】ワインの故郷の歴史と土壌、造り手の想いを知る歓び
【70】葡萄とワインにもきっと通じる?「言葉」の力、大切さ。
【71】いまこそ考えてみたいこと。「美味しい」とは?「御食」とは?
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2024年11月29日 発行
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