2023年9月10日
少し前に、広島県尾道市で病院を経営されているKさんと会食の折に、こんなお言葉をいただきました。「私がワインの世界の虜になったのは、熱田さん、貴方が書かれた【真実はワインの中にIn Vino Veritas】なんですよ」。拙書が我が国のワイン文化にちょっぴりでも貢献できたのかと思うと幸せです。
それにしても、「ワイン」というわずか3文字に魂まで虜にされてしまった私は、愚か者なのでしょうか(笑)。はじまりは、20歳になったばかりの未だ青二才の頃、 南米はチリの美港バルパライソの街で味わった一杯の赤ワインでした。あの夜、ボスが招いてくれたビニャ・デル・マールの中腹にある小さなレストランでの晩餐の席。水平線に、そして目の前のグラスの中に沈みゆく、真っ赤に燃えた夕陽。私は、そこに注がれた赤い液体が何なのか、名前すら知りませんでした。
あの美しい光景は、今でも私の脳裏に焼きついています。それは、ピカソの絵でなければ、モーツアルトの音楽でもなかったのですが、私はその芸術性にすっかり酔い痴れてしまいます。先輩は、その液体がVino Tintoであることを教えてくださいました。
「Vino Tinto って何ですか?」「Vino Tinto はヴィノ・ティントだよ」
初めて愛でた真っ赤な液体、ヴィノ・ティントの素晴らしさと言ったら! それ以降は、寄港する港みなとでその赤い液体、vino tintoなる酒を楽しむようになりました。
60年以上が経っても耳から離れない言葉は、ほかにもあります。
「板子一枚下は地獄」!
海員学校時代、教官や先輩から耳にタコができるくらいに叩き込まれた言葉です。有給休暇で下船すると、船の知識がまったく持ち合わせていない故郷の友人たちから、こんなことを言われたものです。「おい熱田、港みなとに女ありと言うじゃないか。さぞ楽しいだろうな、お前の仕事。オモロい話を聞かせてくれよ」
私は惚けて、こう返します。「港みなとに女ありだって? 港にゃ女性は居ないよ! 力仕事ばかりだから、港で働いているのはゴツい男ばかりだよ!」と。実際のところ、港で私たちを待っているのは、ワインとタンゴだけですから。
生まれて初めてのワインとの素晴らしい出逢いで、 私の人生はまさに180度、ガラリと変わりました。最近、ワインについての原稿をよくご依頼いただくのですが、改めて「ワインっていったい何ですか」と自分に問いかけると、疑問に思うことがあります。
私はずっと「ワインは飲んで楽しむもの」と思っていました。若さの悪戯か、学ぶなら本場でと考えてフランスで遊学していた頃、 お世話になっていたワイナリーの青年からこんな話を聞きました。ある日、彼は父親に「イタリアやギリシャを旅したい。ワイナリーを引き継ぐ前に、かの国の歴史やワイン文化などを学んでおきたい」と頼んだ、と言うのです。側で聴いていた私は、とても驚きました。 そうか、ワインを学ぶ前に歴史を、文化文明を学べばよいのか! 成る程、なるほど…。
そんな懐かしい過去に耽っていると、歴史・文化というキーワードから、ふと縄文時代についての情報に触れたくなりました。書物によると、世界最古の文明のひとつなのだそうですね。期間は諸説あるようですが、1万数千年も前の時代って、考えただけで気が遠くなりそうです。
この時代の文明を学べば、ワインの捉え方は少し変わってくるのでは…。縄文文明はなぜ1万年以上も続いたのか、それを学ぶには図書館に駆けつけることも大事ですが、まずは北海道から沖縄まで歴史の跡地を訪ね歩く旅も欠かせません。私たちは、なぜこれほどまでにワインに憧れ、ワインに恋するのか。もしかしたら、偉大なる葡萄酒の原点や、その愉しみ方の一端に触れられるかもしれません。
というわけで、歴史美術館を訪ねてみませんか。当時の器や生活用具から、私たちの祖先の文化文明、生活様子が垣間見えますよ。たとえば、こんな感じで。
昨年の冬に北海道を旅した折り、オホーツクを訪ねました。 サロマ湖の近く常呂(トコロ)は、我が国におけるカーリング発祥の地なのだとか。同地に住む友人に連れられて出かけた食堂【cafeしゃべりたい】は、オホーツク海に面した海水浴場近くに位置するモダンなレストラン。女将に薦められた、新鮮な海から揚げたばかりの帆立で作った帆立カレーの美味しさには度肝を抜かれました。
この極寒の大地・常呂を尋ねた理由はいくつかありますが、 一番は国指定史跡【ところ遺跡の森】を見学したかったことです。
オホーツク海と北海道最大の湖、サロマ湖に面した常呂。前述の通り、ワインの魅力の奥深さを知るには、私たちの祖の祖である縄文時代に遡り、その生活様式と文化を少しでも学ぶ必要があるのでは。地球が誕生して現在まで約40億年の過去に想いを巡らせることもまた、ワインを愛でる時間を豊かにするのでは。そんな考えから、残りの人生の可能な範囲で遺跡を訪ねてみたくなり、タイムスリップの旅に出たわけです。
長い氷河期の旧石器時代から縄文時代へ、アイヌ文化期から現在へ。展示を眺めていると、その歴史は脈々と今に続いていることを思い知ります。なお、ここ常呂には5千年前頃からの遺跡が残されているそうです。
縄目の模様に代表される縄文土器や、魚や鳥を獲るための器具。武器が見当たらないと思っていたら、争いに使うような刀や槍の類いは存在しなかったとのこと。なるほど、争い事の嫌いな私たちの祖先の姿が目に浮かびますね。
これらの文化は、北方からオホーツク海沿岸に渡ってきた異民族のもので、常呂地域には7〜9世紀頃に現れたのだそうです。海を生活の中心としていた彼らは独自の文化を遺しており、縄文時代からアイヌ文化期に掛けての遺跡で楽しむことができます。大昔の集落の跡が今でも地面の上に見える状態で、 竪穴住居の跡も完全には埋もれることなく確認できます。 本州とはまた少し違った生活文化だったようですよ。
土器をじっくり眺めていると、この器で葡萄酢、あるいは葡萄酒を愛でていたのかな…という想像が広がります。他人を殺めず、夫婦仲もすこぶるよく、みんなが助けあっていたとされる時代。文化を育む彼らの土地には、もしかしたらエビカズラが自生していたのでは? 仮にそうであれば、「ワインは楽しむべきもの」という私たち現代人とも話が合うかもしれませんね。
論語に「知好楽」という言葉があります。まさにワインは「知」「好」も大事ですが、本来の醍醐味は「楽」にあり。村人同士や夫婦間に闘いや争い事がなかった時代に、もしもワインが貢献していたのであれば…。
真実はワインの中に。In Vino Veritas!
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
【35】軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン
【36】ドイツ・ミュンヘンの名物イベントに想いをはせて
【37】伊豆、とある館にひそむ物語
【38】旅は人生そのもの、柔道とワインの達人との一期一会
【39】初めての出会いから60年余。いまこそ、贈りたい言葉
【40】「運命」を感じに、部屋の中から壮大な旅を
【41】雪の向こうに見えるもの。川上善兵衛に、改めて敬意を。
【42】散切り頭を叩いてみれば…明治は遠くなりにけり
【43】風の道、森の恵み…ワイン造りに大切なもの。
【44】風は淡い緑色…茶の安らぎを求めて静岡県島田市へ
【45】なくても生きてはいけるが、なくては人生じゃない。
【46】北海道・仁木町の雪は、葡萄とヴィニュロンの心強い味方。
【47】偉人たちが贈った賛辞とともに、ワインを愛でるひととき。
【48】木は日本の心、櫛は心を梳かす…秋が深まる中山道の旅。
【49】千年後に想いを馳せて、イクアンロー!北海道・阿寒のワイン会。
【50】葡萄が「えび」と呼ばれた時代を偲んで…「本草学」のススメ。
【51】カスタムナイフの巨匠は、なぜ「栓抜き」を手がけたのか。
【52】夢の中に御出現! 摩訶不思議な鳥居をめぐる京の旅
【53】明言、金言、至言…先人の御言葉とともに味わう春のワイン
【54】日本の酒文化のルーツは?古の縄文時代を目指す想像の旅
【55】一杯のワインとテディベアが、世界平和に役立ちますように
【56】チリで、フランスで、北海道で。出逢いに導かれた84年。
【57】神話の里、日本一の庭園を擁する美術館への旅。
【58】ワインを愛でる前にそっと心の中で「五観の偈」を思い出してみる
【59】毎年恒例の「北の大地」への旅、今年も学ぶこと多し
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2024年10月25日 発行
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