2023年5月29日
自宅からわずか5分の場所に、喧騒にして静寂なる森があります。恐らくは都内でも屈指の公園に数えられるはずのこの環境が身近にあることは、我が家の財産と言っても過言ではありません。
ゆったりと本でも読みたくなったり、未来を見つめたくなったりすると、時折り散歩に出かけます。そこには、私が求める何もかもが存在します。六本木通りから広尾に抜ける途中に鬱蒼と茂る森があるなんて、都会の中の大自然と呼んだら言い過ぎでしょうか?
公園の中に一歩迷い込んだ瞬間に、小鳥たちが合唱団を組みウェルカムしてくれます。彼ら合唱団は、季節によって違う曲を聴かせてくれるんですよ。晴れた日は、真っ白なクロスを敷いたちょっと大きめなテーブルでも置きたくなります。それなら、ライン河の銘酒シュロス・ヨハニスベルク城のシュペートレーゼ(遅摘みワイン)1976年産でも楽しみますか! 凝った料理は要りませんが、パリッと揚げた淡路島産新玉葱のフリッターと、メゾンパンさんの塩パンでもあればパーフェクトだね! 時間は昼でもよいし、真夜中でも悪くありません。できれば、着物姿がよく似合う人と一緒がいいね。季節ですか? 今の時期がよいけど、冬でなければいつでも大丈夫です。
日本に居ながら、愛するお方とラインガウの銘醸ワインを愛でる。ならば、アルフォンス・メッテルニヒ侯爵に成りきらないといけませんね。
フランスの田舎を旅していると、よく思うことがあります。フランスに限らず、ワインの名譲地と呼ばれる国には、ワインを芸術、あるいは文化として生活の中に根付かせています。我が国のワインの歴史は、諸説はありますが140年くらいでしょうか。イタリア人がよく言う千年単位の歴史に比べればまだまだ日が浅く、真のワイン文化を築くのはなかなか困難な道かもしれません。でも、我が国が誇る茶の湯の文化のように、何時の日か必ず素晴らしい花が咲く日が来ると信じて日々祈る毎日です。
それに、ワインをごく一般的に愛でる習慣は、すぐそこまでやって来ているように感じます。茶室で道を究めるのも悪くありませんが、「常茶」もまた文化。ラベルや能書きに捉われず、ごく自然に愛でる常茶文化の世界をワインに置き換えてみると、何かが見えてくる気がします。そんな考え方を学ぶ上で、『小川八重子の常茶の世界』(小川誠二・編集、池田出版)は素晴らしい一冊ですので、ワインを愛でながらぜひご一読を。
さて、今回のテーマは「小さな旅」。肝心な公園のお話から脇道にそれてしまいました。
有栖川宮記念公園は、江戸時代に南部藩(盛岡藩)が下屋敷を構えていました。明治29年(1896年)に有栖川宮威仁(タケヒト)親王の第一王子・栽仁王の新邸などの造成のための御用地となりましたが、大正2年(1913年)に威仁親王の薨去によって有栖川宮の断絶が確定し、祭祀を引き継ぐ高松宮の御用地となりました。その後、児童たちの自然教育や健康の増進に格別の関心を持たれていた高松宮殿下が、昭和9年(1934年)1月5日、威仁親王のご命日にちなんで御用地約11,000坪を公園として賜与され、当時東京市の整備工事を経て同年11月17日に現在の名称にて開園しました。
本園は都会には稀な閉雅な地で、かつての大名庭園の面影を残します。丘陵から渓谷を下りて池畔へと至る地形の変化と周囲に生い茂る樹木などが相まって、伝統的な林泉式庭園の修景がなされていて、高雅な自然趣味の庭園と言えるでしょう。ちなみに、昭和50年(1975年)には東京都港区に移管され、現在は区立公園として多くの方々に親しまれています。
豊かすぎる緑はもちろんのこと、春の梅や桜、ハナミズキ(港区の花)をはじめとして四季折々に多種多様な花々が咲き誇り、秋にはカエデやモミジの紅葉も楽しむこともできます。特に毎年2月頃の梅の花は、それはもう見事なんですよ。また、園内の広場には、本園にゆかりの深い故有栖川宮熾仁(タルヒト)親王の銅像があります。
東京都港区南麻布5-7-29 日比谷線広尾駅から歩いて200メートルくらいですので、近隣にお越しの際はぜひ足を延ばして一服を。
さて、カラフルな水筒を用意して、お好みのワインを満タンに。都会のど真ん中に存在する森をめざしましょう。公園の近くには人気のパン屋さん、ワイン屋さんなど、思わず立ち寄りたくなる素敵なお店がたくさんありますが、また後で。現地に着くと、麻布台地の変化に富んだ地形を生かした素晴らしい景観が迎えてくれます。
私の個人的なおすすめポイントは、園内に多く存在する【土の道】です。大都会のど真ん中で土の道を歩けるのは、意外にレアな体験では。思わず靴を脱ぎ捨てて、素足で歩き出したい欲求に駆られます。
時間が許せば、東京都立中央図書館で読書三昧を。すぐ隣の高台にあります。
晴れ渡った天気のよい日には部屋を飛び出して、燦々と降り注ぐ太陽の光と、爽やかな緑の中でワインを楽しむ。その時、名も知れぬ一本のワインが、あなたにそっと語り掛けることでしょう!
よい宿で どちらも山で 前は酒屋で 山頭火
この森にたたずむと、いつも芭蕉か種田山頭火の世界に飛び込んだ気分になります。山頭火に溺れて森の中を彷徨い歩く私は、何と幸せな旅人なのでしょうか。時には、ベートーヴェン終焉の地、グリンツィング村にあるベートーヴェンガッセ(小径)を想い出します。ゆっくり散策していれば、目の前にあの姿の楽聖がスタスタと現れるかも?
往時の面影はありませんが、ベートーヴェンがよく散策したという小径は今も残っています。
そして、Sollen Wir Zusammen Heurige Trinken ‼(ワイン酒場で一緒に飲みましょうか‼)な〜んて語り掛けられたら、どうしましょうか?
心癒せる時間をあなたに。Bon Voyage ‼
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
【35】軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン
【36】ドイツ・ミュンヘンの名物イベントに想いをはせて
【37】伊豆、とある館にひそむ物語
【38】旅は人生そのもの、柔道とワインの達人との一期一会
【39】初めての出会いから60年余。いまこそ、贈りたい言葉
【40】「運命」を感じに、部屋の中から壮大な旅を
【41】雪の向こうに見えるもの。川上善兵衛に、改めて敬意を。
【42】散切り頭を叩いてみれば…明治は遠くなりにけり
【43】風の道、森の恵み…ワイン造りに大切なもの。
【44】風は淡い緑色…茶の安らぎを求めて静岡県島田市へ
【45】なくても生きてはいけるが、なくては人生じゃない。
【46】北海道・仁木町の雪は、葡萄とヴィニュロンの心強い味方。
【47】偉人たちが贈った賛辞とともに、ワインを愛でるひととき。
【48】木は日本の心、櫛は心を梳かす…秋が深まる中山道の旅。
【49】千年後に想いを馳せて、イクアンロー!北海道・阿寒のワイン会。
【50】葡萄が「えび」と呼ばれた時代を偲んで…「本草学」のススメ。
【51】カスタムナイフの巨匠は、なぜ「栓抜き」を手がけたのか。
【52】夢の中に御出現! 摩訶不思議な鳥居をめぐる京の旅
【53】明言、金言、至言…先人の御言葉とともに味わう春のワイン
【54】日本の酒文化のルーツは?古の縄文時代を目指す想像の旅
【55】一杯のワインとテディベアが、世界平和に役立ちますように
【56】チリで、フランスで、北海道で。出逢いに導かれた84年。
【57】神話の里、日本一の庭園を擁する美術館への旅。
【58】ワインを愛でる前にそっと心の中で「五観の偈」を思い出してみる
【59】毎年恒例の「北の大地」への旅、今年も学ぶこと多し
【60】一人の女性画家の世界観を訪ねて、春近き箱根路の旅。
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2024年10月25日 発行
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