2023年2月3日
旅には幾つかのタイプがある。団体旅(グループ旅)も悪く無いが、私は独りぼっちの孤独旅がすきです。若い頃は外国に憧れて10年以上、仕事も兼ねて異国の地を流離い(さまよい)ました。偶には風光明媚(ふうこうめいび)の観光旅行もしましたが、ほとんどはワインに関わりのある地域でした。
楽しかったが、それ以上に失敗また失敗を重ねた旅の連続でした。でも今振り返れば、あの失敗を重ねられたから、私の今があると信じています。文章に書けないような恥ずかしくて、滑稽(こっけい)過ぎる思い出も沢山ある。あの失敗を今では素晴らしい体験だと確信している。道草の連続の旅でした。旅から学んだ私の財産です。
例えば、スイスの小村、グリンデルヴァルトでの僅か(わずか)一週間の短い滞在でしたが、あの自然が織りなす風光明媚な大地は一人の人間として沢山の大切な「心」を宿して戴きました。お世話になった村長さんのご家族の皆さんや村の人達の優しいオモテナシの体験は、帰国してからのレストランで世界中からのお客様のオモテナシに大変お役に立ちました。
この村はスイスのベルン・アルプスにある村で、冬はスキー、夏はハイキングの地です。アイガーの北壁を目指す登山の拠点でもある。「大切な心」の中には沢山の意味が含まれています。大切な心の一つに食事法「じきじぼう」があります。我が国で言われる「五観の偈(ごかんのげ)」。主に禅宗において食事の前に唱えられる心構えを示す偈文(げもん)です。
1) 功の多少を計り彼の来処(らいしょ)を量(はか)る。
2) 己が徳行の全欠を忖って供に応ず。
3) 心を防ぎ過(とが)を離れることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
4) 正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。
5) 成道(じょうどう)の為の故に今此の食(じき)を受く。
難しい言葉が多いですが、第一は、今これから口に入れようとしている食べ物が、此処に至るまでの過程を深く考えて見ましょう。
毎日、私達が戴いているお料理は突然に目の前に出てきた訳では有りません。食材を揃えて、お料理を作ってくれるお方がいて、食材を仕入れて、提供しているお方がいます。多くの人の手間や苦労があって、私達はお食事をいただく事が出来ているのです。自然の恵みがあればこそ作物も育ちます。全ての命がつながって初めてご飯を食べられる事に感謝しましょう。
ワインも然り(しかあり)です。ワインを愛でる前にそっと心の中で「五観の偈」を思い出してみては如何でしょうか。
ワインもお金を支払ったから目の前に存在する訳ではありません。大自然の恵みが齎す(もたらす)気候風土、ワインの元に成る各種の葡萄達、多くの栽培人や、醸造に携わるお方を始め、沢山の人々の苦労を忘れる事はできません。
私達に出来る事は愛の籠った優しい言葉でしょうか?言葉の醸し出す「言霊の世界」には摩訶不思議な力が存在します。良く言われる「言霊の世界」でしょうか。ワインはタンクや樽の中で力強くやがて静かに発酵熟成を続けます。ボトリングされた後も美味しくなる為に蔵の中で時を過ごします。ワイン蔵の中は仄暗く静かで最善最大の状態で赤ちゃんワインを育ててくれます。まさに此処はパラダイスの地です。
この「citations」に、偉人達は多くのワインを讃える言葉を残しています。「良いワインは飲む人に真実を語らせる」この言葉はある地方の格言である。偉大なるワインにも多くの欠点はある。安価なワインにも欠点もあれば利点もある。これだけを知り得ただけで、あなたのワインに対する世界観は素晴らしいワイン愛好家の筈です。あなたがワインを愛でて、何か素敵な格言は生まれましたか?
Les Vignes et les jolies femmes sont difficiles.
これは恋の国フランス人らしく訳しますと「葡萄畑と美人は手が掛かる」の意である。まさに戦場である葡萄園の一年はあらゆる面で大変な労働力を要します。鳥の群れが葡萄畑を襲います。鹿達が若き葡萄樹を襲います。鳥達を時には天敵です。日照量や雨や雲は?どんなに風土に恵まれても気候だけは自然に任せるしかありません。葡萄に対するあらゆる病原菌との戦いの日々。寒さや雲との闘い。葡萄畑の一年はまさに戦場です。
我々には完成したいっぱいのワインに感謝を込めて愛でなければワインは心を開いてくれないと思います。あなたはワインを愛でるとき、ワインに優しい言葉を語り掛けますか。言葉は言霊と昔から言われています。ワインは生きているんです!人間と同じなんですよ。ワイン蔵の中であなたに愛でられてる時を静かに待っていたんですよ。
風邪も引かずに病気にもかかわらず、だから優しい言葉を掛けてあげてください。グラスの中でワインが喜んでいます。ワインの産地を訪ねる旅は机上では学べない素晴らしさを鷲掴み出来ます。
若さに任せて、さあ旅に出ますか。季節はまさに寒さ厳しき冬の季節、こんな冷える夜は、ほんのり暖かなグリューワインでも愛でながら、可成り古い(昭和39年版)ワインの本、アレック ウォー著の「In praise of wineワイン」でも紐解きながら、あらためて悦に入りますか。桜花咲く春の季節になったらアキテーヌ地方(フランス・ボルドー地方)でも旅してみたくなりました。
セップ ア ラ ボルドレーズ(茸料理)を鱈腹(たらふ)く食べに旅に出ますか。
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
【35】軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン
【36】ドイツ・ミュンヘンの名物イベントに想いをはせて
【37】伊豆、とある館にひそむ物語
【38】旅は人生そのもの、柔道とワインの達人との一期一会
【39】初めての出会いから60年余。いまこそ、贈りたい言葉
【40】「運命」を感じに、部屋の中から壮大な旅を
【41】雪の向こうに見えるもの。川上善兵衛に、改めて敬意を。
【42】散切り頭を叩いてみれば…明治は遠くなりにけり
【43】風の道、森の恵み…ワイン造りに大切なもの。
【44】風は淡い緑色…茶の安らぎを求めて静岡県島田市へ
【45】なくても生きてはいけるが、なくては人生じゃない。
【46】北海道・仁木町の雪は、葡萄とヴィニュロンの心強い味方。
【47】偉人たちが贈った賛辞とともに、ワインを愛でるひととき。
【48】木は日本の心、櫛は心を梳かす…秋が深まる中山道の旅。
【49】千年後に想いを馳せて、イクアンロー!北海道・阿寒のワイン会。
【50】葡萄が「えび」と呼ばれた時代を偲んで…「本草学」のススメ。
【51】カスタムナイフの巨匠は、なぜ「栓抜き」を手がけたのか。
【52】夢の中に御出現! 摩訶不思議な鳥居をめぐる京の旅
【53】明言、金言、至言…先人の御言葉とともに味わう春のワイン
【54】日本の酒文化のルーツは?古の縄文時代を目指す想像の旅
【55】一杯のワインとテディベアが、世界平和に役立ちますように
【56】チリで、フランスで、北海道で。出逢いに導かれた84年。
【57】神話の里、日本一の庭園を擁する美術館への旅。
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2024年10月25日 発行
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