2022年5月2日
年輪を重ねるほどに、なぜか突然に旅に出たくなることが増えました。しかも、夜行列車に乗って、旅先の初めて見る地でワインを傾けながら、見知らぬ方々と言葉を交わしたり。鄙びた宿の風情を満喫し、少し温めの温泉に浸り、思いっきり脚を伸ばしながら過去を忘れ、静かに眼を閉じて…。瞼の裏に見えるのは、明るい未来? それとも、詩人になり切っての恋歌?
私は、忘れた頃に旅したくなる「冬の阿寒」が大好きです。『イヨマンテの夜』(イヨマンテとは、アイヌ語で熊祭り、送り儀式を意味します)をアイヌの方々と唄う一体感。かと思えば、宿自慢の田舎料理にひとり舌鼓を打つひととき。「東京からですか?」と声をかけてくれた宿の女将に頷き、道産ワインを愛でる幸せを噛み締める北の大地よ。
凍てつく冬の阿寒岳は、私の心の故郷です。以前にもご紹介しましたが、あの野口雨情も冬の阿寒に恋したひとり。阿寒湖の畔には碑も建立されていますが、この地で雨情と言えばやはりこの美しい作品が頭の中に流れます。
駒は嘶く 釧路の平野 鶴も来て舞ふ 春採湖 遠く雄阿寒 群れ立つ雲は 釧路平野の 雨となる
そして、季節は春へ。今回は敢えて古都・京都を旅しました。なぜに京都かと言えば、「真実の未来を学びたかったら、京都を尋ねなさい」と、とある高名な女性ファッションデザイナーに教わったから。
ところで、ずっと以前から、私はなぜかゼロ(0)から始まる数字の摩訶不思議な奥深さに興味を抱いてきました。考えて見れば、私たちは常に数字に振り回されていませんか? ワインひとつを取っても、ヴィンテージチャートから売り上げまで、とにかく頭の中には数字が駆け巡ります。0、1〜10、百、千、万、億、兆、京、垓、秭、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数。コンピュータ時代の到来を予想していたのように、インドや中国の昔の人々はこんな大きな数字の単位まで考えていたとは驚きますよね。
そんなわけで、ある日、どういうわけか「3」という数字に取り憑かれてしまいました。その数字についてあれこれと考えをめぐらせていたら、その夜、不思議な夢を見たのです。
私は神社にいて、不思議な鳥居を眺めていました。神社には付き物の鳥居は形も色彩も多様ですが、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居があって神様のもとに辿り着きますね。それが、この日の夢の中では、3つの鳥居が重なりあってひとつの鳥居を構成していました。
何と奇妙な、こんな鳥居は見たことがない…と、夢の中の私。しかし、目が覚めて調べてみると、数は少ないながらも「三柱鳥居」は確かに存在するのですね。それを知って、心の底から驚きました。もしかして、神様の思し召し?
さらに調べていくと、京都は太秦の近く、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)という通称「蚕ノ社」の境内に建立されていることが分かりました。上賀茂神社にて仁木ヒルズワイナリーの春の奉納祭が催された折りに、車で15分ほどのホテルに宿泊する幸運に恵まれ、早速お参りに出かけた次第です。
夢の中に御出現くださった神様と確信し、まずはご挨拶を。神主さんにお話をうかがうと、大宝元年(701年)以前の創建と考えられているそうです。宮司さんによれば、嵯峨野・太秦周辺は渡来系氏族の秦氏が開拓した地ということで、広隆寺や松尾大社、蛇塚古墳など同じように秦氏ゆかりの神社ではないか…とのこと。
夢に現れた三柱鳥居は、境内の北西隅。元糺の池(もとただすのいけ)という神池がある場所で、現在は涸れていますがかつては湧き水が豊富だったようです。泉に手足を浸すと諸病によいという信仰があったことから、現在は夏の土用の丑の日には特別に水で満たしているのだとか。
さあ、お目当ての三柱鳥居は、この元糺の池の中に建立されています。非常に珍しいものの、このスタイルの鳥居は全国にいくつかあるらしいのですが、本家本元はここ木嶋神社という説が有力なようですね。そこで思い出したのが、かつて、近江商人が掲げていた「三方よし」の経営哲学です。売り手よし、買い手よし、世間よし。自らの利益のみを追求することをよしとせず社会の幸せを願う精神は、もしかしたら三方鳥居と何か関係があるのでは…と、その場で想像の翼を広げたり。
鳥居の不思議、それは私たちには計り知れない謎に満ちた摩訶不思議な世界。木嶋坐天照御魂神社は、創建年月こそ不詳とされているものの、平安時代初期の『続日本紀』には大宝元年(701年)4月3日の条に、神社名が記載されているそうです。私の夢に現れた三柱鳥居は3つの鳥居を組み合わせた威容を誇り、中央の組み石は本殿ご祭神の神座であると同時に宇宙の中心を表わしているようで、四方から拝することが出来るように建立されていました。こちらも創立年月は不詳で、写真の鳥居は江戸時代、今から300年ほど前の享保年間に修復されたもの。一説には景教(約1,300年前に日本に伝わったキリスト教の一派)の遺物ではないかと言われているとか。
古都・京都には、今も解明に至っていない歴史の謎がたくさん存在します。あなたがもし近江商人の「三方よし」を旨とするならば、木嶋坐天照御魂神社に旅してみませんか。きっとよい出逢いと気付きが待っているはずです。
◎所在地:京都市右京区太秦森ケ東町50
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
【35】軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン
【36】ドイツ・ミュンヘンの名物イベントに想いをはせて
【37】伊豆、とある館にひそむ物語
【38】旅は人生そのもの、柔道とワインの達人との一期一会
【39】初めての出会いから60年余。いまこそ、贈りたい言葉
【40】「運命」を感じに、部屋の中から壮大な旅を
【41】雪の向こうに見えるもの。川上善兵衛に、改めて敬意を。
【42】散切り頭を叩いてみれば…明治は遠くなりにけり
【43】風の道、森の恵み…ワイン造りに大切なもの。
【44】風は淡い緑色…茶の安らぎを求めて静岡県島田市へ
【45】なくても生きてはいけるが、なくては人生じゃない。
【46】北海道・仁木町の雪は、葡萄とヴィニュロンの心強い味方。
【47】偉人たちが贈った賛辞とともに、ワインを愛でるひととき。
【48】木は日本の心、櫛は心を梳かす…秋が深まる中山道の旅。
【49】千年後に想いを馳せて、イクアンロー!北海道・阿寒のワイン会。
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2024年10月25日 発行
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