2019年7月26日
旅の醍醐味。それは、まだ見ぬ大地を訪ねたり、温泉に浸かったり。あるいは、美味しい料理に舌鼓を打つことも、旅人の目的のひとつかも知れません。「人に逢いたい。その人の生誕地を訪ね歩きたい」…今年81歳を迎えた私の場合は、そんな旅を楽しんでいます。
山岡鉄舟をはじめ若山牧水や松浦武四郎、前田正名、古事記の編纂人である太安万侶、本格的なワインの醸造や葡萄栽培にフランスに派遣された勝沼の土屋竜憲と高野正誠。これまで、酒やワインに関わった人たちの生誕地や晩年を過ごした大地を訪ね歩いてきました。特にわが国のワイン黎明期に活躍した人にゆかりのある地ともなれば、旅の愉しみもまた格別。ワインというわずか三文字なれど、その深さは計り知れません。
令和元年7月14日、雨がそぼ降る梅雨の一日。私は、三河の国、幡豆郡一色村大字松木島の小さな村を訪ねました。東に少し歩けば、忠臣蔵の敵役として悪名高い吉良上野介義央公の地元がありますが、三ヶ峰山の麓の町では悪いイメージはまったく語られません。むしろ、地元では数々の善政を敷いた名君と呼ばれているのです。
北には八面山が聳え、矢作川の支流・古川が知多湾へと流れています。三河の海で揚がる新鮮な海の幸は、訪ねてみて初めてわかる料理の旨さとして、旅人の魂を蘇らせてくれます。この豊かな自然の中に生を受けた一人の人に逢いたくて、片道300km近くの道を苦ともせず車を飛ばしました。その人の名前は、神谷傳兵衛。
今回は、文字通り、一杯のワインで人生が変わった一人の男性の実像に逢いたいと思い、彼の地元を訪ねました。
父・兵助と母・イシの六男として安政3年2月11日に生まれた神谷傳兵衛は、幼名を松太郎と呼ばれました。神谷の先祖は武士でしたが、江戸時代の初めには農民として代々、明主を務めた家柄。8歳にして酒樽造りの見習いとして働きに出ていた松太郎は、続いて姉の嫁ぎ先である品川屋徳太郎のもとへ。松太郎は、商業を学んでいたこの頃から、周囲の大人たちに「正直者」と親しまれたそうです。その素養は、母の教育によって大きく育まれたのでしょう。
取引先をはじめ店の内外で評判となった松太郎ですが、11歳の春に、余儀ない事情により品川屋から松木島村の我が家に帰りました。三河の国は、古くから綿の栽培が盛んなお土地柄。江戸と売買をなす商人も多かったという一色町はその中心地で、松太郎も綿の売買をしばらく続けていました。
明治6年4月、松太郎は、村の人々には「豊川稲荷に参詣してきます」と告げて、住みなれた松木島村を出発します。横浜に到着した彼は、外国人居留地へ。フランス人が経営する「フレッレ商会」の醸造場に労働者として入り、洋酒製造法を学び始めました。忠実勤勉に働く松太郎は、フランス人たちからも非常に可愛がられる日々を送ったそうです。
そんなある日、松太郎は腹部の病に倒れます。手術の道はない、自然治癒を待つ以外にないと診断された松太郎は失望し、衰弱して生命の危機に陥りますが、フランス人オーナーが一杯のワインを飲ませたことを境に次第に元気を取り戻し、やがて全快。その効き目に驚いた松太郎は、深遠なるワインの世界へと分け入ることになります。
翌年の4月、父の訃報を受けた松太郎は、家督を相続して傳兵衛へと改名。母国に帰国するフレッレ商会の社長を横浜埠頭に見送った後、直ちに東京へ。麻布区にあった天野鉄次郎商店で5年ほど働き、やがて独立自営の道へと進みます。
傳兵衛は、彼の出発点を見失うことはありませんでした。即ち、「初めから大きな事をなさば必ず失敗する。なすには小さき事より始め、入るには狭き門よりし、次第に大きく発展する方針を執ろう」。大きな酒問屋でなく、小さく酒の一杯売りから始め、徐々に葡萄酒の製造業を起こす。そんな計画で起こした彼の店は、実は現在も商売繁盛、日々満員の商売を続けています。
みかはや銘酒店、現在は「神谷バー」として親しまれています。明治13年から約140年の歴史を持つこの名店は、まず輸入葡萄酒を原料とした日本人好みの甘口の再製葡萄酒などで評判を呼びました。明治18年の「蜂印葡萄酒(はちじるしぶどうしゅ)」、その翌年の「蜂印香竄葡萄酒(はちじるしこうざんぶどうしゅ)」は、日本のワイン愛好家にとってはお馴染みの名ですね。ちなみに、ラベルにもある「香竄」とは父・兵助の稚号だそうです。親の恩を生涯忘れない…傳兵衛らしいネーミングです。
明治27年、養嗣子として迎えた小林伝蔵をフランス国ボルドーに留学させ、3年間にわたりワイン学を学ばせます。日本中を訪ね歩き「最高の地」を見つけた傳兵衛は、明治36年に牛久醸造場(後のシャトーカミヤ、現在の「牛久シャトー」)を創設。飲食施設は昨年末に惜しまれながら営業を閉じましたが、その素晴らしいワイン蔵などは現在も見学可能です。
あまり語られないのが残念ですが、神谷傳兵衛のビジネス学でも「欲がないと儲かります」という姿勢にはとても惹かれます。「事業をなすに、儲けたいという欲があれば心配で資本が投げられません。儲かる儲からなぬは判らぬが、是は良い事業、この品は有益な品と認め、是非とも此の事業は成功せしめねばならぬと云うこころで、最初は捨てる気で資本を投じます。而して其の事業に全力を注いで精進しますれば事業が次第に盛んとなり、利益は求めないでも自ら収められます。欲があっては事業家にはなれません」。
というわけで、この7月に現地で集めたお話の取材メモを、読者の皆様にもおすそ分け。雨降る中、快くご協力くださった一色村の皆様に、改めて感謝を申し上げます。
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
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2024年10月25日 発行
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