2019年5月15日
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」
ご存じ川端文学『雪国』の名文です。もしも川端康成氏が、舞台になった越後湯沢ではなく、熱海から丹那トンネルを抜けて次の駅となる函南に訪れていたなら、その環境の豊かさをどんな文章で綴っていたのでしょうか。
そんなわけで、トンネルを抜けた私は、函南駅に降りました。伊豆半島の付け根にある小さな駅のホームに立ち、まず驚いたのは、空気の美味しさでした。周囲の山、また山が迫っていて、むしろ放浪俳人・種田山頭火さながらの旅人と化す私。「振り返ると何と秀麗、霊峰富士が見事にその美しさで迫ってくる。一時間前の、あの大都会の喧騒はなんだったのだろう。 函南の地には、もしかしたら、日本人の心の原風景は存在するのかもしれない」と、函南の地で感じました。
今回の旅の目的は、ワインではありません。駅からタクシーで10分ほど南にある畑毛温泉郷です。畑毛温泉の歴史は古く、200年以上前から多くの人々の湯治場として親しまれていたのだとか。古くは寛延年間の記録も残っているそうですよ。
源頼朝が軍馬の疲れを癒したという古湯。若山牧水は沼津の自宅から浸かりに来ては「長湯して、飽かぬこの湯のぬるき湯に、ひたりて安き心なりけり」と、与謝野晶子は「湯口より遠く引かれて温泉は女の熱を失ひしかな」と詠みました。畑毛の村落を流れる柿沢川の畔には碑が立っています。なお、江戸時代は「湯塚の湯」と呼ばれ、泉質は弱アルカリ性単純泉で無味無臭透明。ラドンの含有量が驚くほど多く、遊離炭酸泉独特の粒状気泡が皮膚を快く刺激し、故に高血圧症をはじめ、神経痛、リュウマチ、消化器や運動器(骨や筋肉など)、ご婦人にはもちろん美肌作用も…とされているそうです。
畑毛温泉は、昭和37年3月10日厚生省告示第65号(当時)により、国民保養温泉地に指定されました。私自身も、かれこれ40年以上も前からの畑毛温泉のファンの一人であり続けています。畑毛温泉が素晴らしいのは、源泉の泉質と温度、源泉は冷泉で32°から38°と比較的低温であること。長時間じっくり、ゆっくりと温浴できるので、私の場合は、少なくとも1時間は浸ります。特にゆっくり愉しみ来時は、2時間ぐらい浴びます。
そしてもうひとつ。畑毛温泉は、どこの宿に泊まっても温度の異なる三槽があり、交代でゆっくりと温浴ができます。冷泉源泉に1時間ぐらい浸かれば身体の芯の芯までポカポカ。本当に温泉効果を求めたい方や、膝や腰に痛みをお持ちの方には最高の温泉郷だと信じてやみません。
そんな畑毛温泉ですが、ほかには何もありません。ここは、本当の意味での湯治場です。健康を求めて九州や北海道あたりからも湯治に来られる方も多いそうなのですが、それも納得と思えるだけの素晴らしい冷泉温泉以外は、どこにも負けないくらいの自然が広がるのみなのです。
近くには狩野川の支流、柿沢川が流れています。柿沢川の畔には、季節になると何百本もの河津桜が一斉に早咲きし、旅の心を癒してくれます。おすすめは早朝に楽しむ散策。川の畔から望む富士山は、とにかく最高の素晴らしさなんですよ。地元の皆さんも、「畑毛から望む富士山の風景が日本一」と誇りをお持ちのご様子。富士の雄姿を誇る地域は多いですが、個人的にはイチオシですので、ぜひ味わっていただきたいものです。
近くにある春日神社と天地神社には、神木と言われるクスノキが樹齢800から950年の歳月を今も生き延び、私たち旅人を見守ってくれています。もし時間があれば、 ゆっくりと古きクスノキと対座して、人生を語り合ってみるのも一興。悠久の時を刻んで生きてきた神木と時間を共有できる幸せに、思わず感謝を捧げたくなるはずです。
さて、宿の女将からは、こんな提案が。「そんなに古い木がお好きなら、古い石も訪れてみては」。函南町の山中に伝わる「こだま石」は、伊豆七不思議のひとつなのだとか。
戦国の世、戦で夫をなくした母子が、西瓜で有名な平井地区から丹那を抜けて熱海へと野菜を売りに往復していました。険しい山道の中、休憩するにはちょうど良い大きさの岩があり、行き帰りにはいつもそこで休憩していたそうです。ところがある日、母親が急病で亡くなり、息子はその岩のところで泣き叫びます。すると、岩の底から、自分の名を叫ぶ母の声が。息子の耳には、まるで母の魂が岩の中に乗り移ったように思えました…。母の想い、この想い。心を打たれた里人たちは、以来、この岩のことを「こだま石」と呼ぶようになったのだとか。
石に辿り着くまでの道のりは想像以上に険しく、狭い砂利道でした。高さにして約5メートル 、幅は約2メートル。道の反対側から叫ぶと、その名の通りこだまします。なるほど、こだま石。
歴史と文化、大自然に恵まれ、都心からわずか一時間ほど。快適な環境で安心して暮らせるまち・かんなみ。古来から伝わる函南町の誇りは、あるものはその姿を残し、またあるものは進化と変革を受け入れながら、私たち旅人にさらなる「旅の不思議、旅の豊かさ」を教えてくれます。皆さんもぜひ、お出かけを。
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
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【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
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2024年10月25日 発行
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