2018年8月30日
「あなたは旅が大好きですか?」という質問を受けて、皆さんは何とお答えになりますか?私は、いつも素直に、こうお返しします。「ハイ、旅は死ぬほど好きです」と。
私の旅の先には、必ず美味しいワインが待っています。未知の世界、新しい人生が、私を迎えてくれます。そんな感情にほだされて、つい風にまかせて夜汽車へと……。
「旅」という文字の語源、由来には諸説があるようですね。現代的には、「住む土地を離れて、一時、他の土地に行くこと」ですよね。昔の中国では、旅することを「南船北馬」と呼んだのだとか。北の大陸は馬で往き、河川の多い南は船に頼る……なるほど、雰囲気のある言葉ですよね。
現在、私は東京の港区に住んでいます。中国大使館のすぐ近くです。中国風江戸塀に囲まれている大使館では、その壁を利用して漢字の由来などを紹介しておられるんですよ。運良く「旅」の由来が書かれていたのですが、文字は「方人(ほう)」と「从(じゅう)」を組み合わせたものなのだそうです。前者は吹き流しをつけた旗竿の形で、氏族旗を指すのだとか。後者は、左向きの人が前後に並ぶ形ですが、これは「従(從)」のもとの字で、旗を掲げて進む氏族の軍団を意味するようです。つまり、遠くへ出行することを「旅」と呼んだわけですね。
語源はさて置き、私は仕事の関係で、国内・海外ともにいろいろな旅を経験させていただきました。旅先で知った「たった一杯の赤ワイン」が、我が人生、齢80の今日まで寄り添ってくれるなんて、私はなんという幸せ者なのだろう……と思わずにはいられません。
20歳から60年間、ワインは私の人生そのものであり続けています。この60年、ワインのお陰で大病も患わず、日々を楽しんでおります。これもひとえにワイン閣下のおかげであり、また各地での不思議な邂逅も旅があってこそのものとワインの神様に感謝を捧げるのです。
正しく愛せば、ワインは薬り以上に薬りであり、人間にとって最高な飲み物である。先達に語り尽くされた説ですが、私もまったく同感です。
ボルドーに住んでいた頃、サヴィニイ・レ・ボーヌの村を旅したことがあります。ブルゴーニュ地方のワイン集散地で有名なボーヌの街の隣に位置する人口1,400人ほどの小さな村ですが、その歴史は古く、最良のワイン生産地のひとつです。某日、この村にある古城を訪ねました。入口には古いラテン語の文章があったのですが、私には読めなかったので、同行の師匠が訳してくれました。
『この村のワインは滋養に溢れ満ち、愛でる人は死を知らない』
また、あるレストランの壁に掛けられらた額の中にも、こんな文章を発見しました。『ワインを飲むには、5つの理由がある。ホストが到着した時、喉が渇いた時、未来のために、美味しいワインがある時、飲みたくなる理由がある時だ』。こんな楽しい文章に出会うことができるのも、旅のおかげ。さらなる未来に向かって、また旅をしたくなるのです。
ワインの知識も楽しいのですが、ワインがもたらしてくれる数多くの摩訶不思議な魅力は、やはり格別です。美味しい香りに酔いしれ、最善・最大・最高たる「母なる大地」からの贈りもの。疑う余地はひとかけらもないワインの力を、私は信奉しているのです。ただ、それはワインに限りません。日本酒(国酒と呼ぶべきでしょうか)にも見出すことができます。
先日、お世話になっている信貴山の大本山・山手千手院を訪れた折り、田中真瑞(しんずい)管長さんからのご紹介で、大和国一の宮三輪明神の大神神社をお参詣させていただく機会がありました。広い境内の一角に佇む活日(いくひ)神社には、崇神天皇に召されて三輪の神様にお供えする酒を造った高橋活日命が奉られています。杜氏の祖先神として酒造関係の方から進行が篤い神社で、別名「一夜酒の神」とも称えられる我が国唯一の杜氏の祖神とのことです。
高橋活日は神酒を天皇に奉り、歌を詠みました。『此の神酒は わが神酒にならず 大倭なす 大物主の醸し神酒幾久幾久と(此の酒は私が造った酒ではなく倭の国を造られた大物主神が醸された神酒です。幾世までも久しく栄よ、栄よ)』。こんな素晴らしい歌を知ってしまうと、日本酒ファンであれば、酒蔵めぐりがてら活日神社を参拝してみたくなるでしょう?
日本酒の神様と言えば京都の松尾神社が有名ですが、醸造の神様では最も歴史が古いとされる梅の宮神社も外せません。京都市内ですので、まさに旅行にぴったりですね。
ところで、旅を楽しんでいるうちに、私は不思議と「茶畑に迷い込みたい」という欲求にかられることがあります。宇治の和束(わづか)であったり、静岡の牧之原から川根、天竜あたりであったり。こちらもワインや日本酒の旅に負けず劣らず、かいがたい魅力があります。その証拠に、あの松尾芭蕉もこんな歌を詠んでいますね。
『駿河路や 花たちばなも 茶のにほい』
一面緑の茶畑を眺めていますと、本当に心が洗われます。ちなみに、JR鳥田駅前に栄西禅師の像があるのですが、彼こそは平安時代末に留学した宋(今の中国)から茶の実を持ち帰った臨済宗の開祖。お茶の効用、飲酒法や製造法などを説いた偉人ですね。のちに『喫茶養生記』を著し、お茶を飲む習慣を全国に広めた功績により「茶祖」とも呼ばれるようになったそうです。
その『喫茶養生記』の序には、こんなくだりがあります。『茶は養生の仙薬なり。延齢の妙薬なり。山野、これを生ずればその地は神霊なり』。茶の世界も、ワインに通じるものがあるのですね。
ワイン、日本酒、そしてお茶。原料が育つ気候風土はもちろん、歴史やマナー、嗜むための器、そして味わいまで大きく異なりますが、いずれも「奥深さ」はまったくよく似ています。
というわけで、さあ、この週末にでもまた夜汽車に乗って旅に出るといたしましょうか。あなたも、ぜひご一緒に。
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
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2024年10月25日 発行
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