2018年6月28日
国際的なファッションデザイナーとして実績を積み上げ続けるだけでなく、アーティストとしても名声を集めるコシノヒロコ氏。2012年に銀座の並木通りに旗艦店をオープンしたが、この地を選んだのはご自身の並々ならぬこだわりがあったとか。そこで今回は、ご本人に銀座との縁と想いを聞いた。
| フラッグシップショップを銀座に出店されたことには、深い意味があったそうですね。
銀座は、誇張なしで「世界に通用するファッションエリア」ですからね。学校を卒業して初めての就職先が「銀座小松ストアー(現・ギンザコマツ)」でしたので、原点の場所という意味もあります。
| 1960年代の初頭ですね。当時はどんな毎日だったのですか?
新しいデザインを生むことに夢中でした。一番のライバルは妹の(コシノ)ジュンコでしたが、当時の銀座には三宅一生さんや高田賢三さんなど一流の人材が溢れていましたから、よくみんなで集まりました。「みゆき族」も、銀座での交流の中で生まれた若者文化だったんですよ。
| 「銀座の住人」の皆さんとの交流は、現在も楽しんでおられるようですね。
ええ。いま、銀座を愛する方々が集まる「銀座くらま会」に所属しています。邦楽を嗜む旦那衆の集まりなのですが、私も三味線を弾かせていただいています。毎年、新橋演舞場でお披露目があるんですよ。
| 三味線は名取の腕前とのことですね。その一方、銀座店地下のギャラリーで作品を展示しておられます。本当に多芸ですね。
もともと絵を描く仕事を目指していましたので。ギャラリーは、純粋に「皆さんが楽しんでくださる空間になればいいな」と考えて開設しました。
| 場所が銀座であることを考えると、贅沢な空間ですよね。
その通りですね。銀座でお店を維持するには成功し続けなければなりませんから、ここに自分の空間を持つこと自体が挑戦と言えると思います。
| とても長い期間にわたってファッション界のトップに立ち続けておられますが、秘訣はありますか?
ファッションはすべてを総合するものですから、自分自身の暮らし方が大切だと思います。私の場合は、若い頃に安藤忠雄さんにお願いして、芦屋の山奥に家を建てました。日本人の感性は四季との共生が重要ですから。
| 若い頃に安藤忠雄さんを起用するとは凄い…。相当なお覚悟ですね(笑)。
お金もなかったのにね(笑)。でも、当時から今で言うライフスタイルを重視したからこそ、グレーのコンクリートに囲まれていても色をイメージできますし、デザイン思想に落とし込んで「自分らしさ」も創れる。そんな準備が、海外に出ることにつながったのだろうと思っています。
人間、自分に甘くなるものですので、成功を求めるならリスクを課してでも「自分育て」をしないと。新しいものに敏感で考え方も柔軟な若い時の過ごし方が重要だと思いますよ。
1978年から2017年秋冬コレクションまでの約40年間に渡るコレクションルックと、長年描き溜めてきた絵画を一挙掲載。モードとアートを自由に往来するコシノヒロコの集大成本。全国書店で販売しているので、是非お手に取ってご高覧ください。
【著者】コシノ ヒロコ 【定価】22,000円(税別)
【発売】丸善出版(株) 【発行】丸善プラネット(株)
コシノ ヒロコ さん
大阪、岸和田市生まれ。文化服装学院在学中よりキャリアを重ね、東京、大阪、パリ、ローマ、上海などでコレクションを発表。婦人服のほか、ライフスタイル関連、紳士服など、数多くのファッションアイテムのデザインを手がけている。近年はアーティストとしても活動、自身の作品を発表するスペースとして2012年銀座に、2013年には芦屋に、KHギャラリーをオープン。1997年第15回毎日ファッション大賞、2001年大阪芸術賞受賞。
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2024年10月25日 発行
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