2021年2月15日
ローカル電車に乗ってミュンヘン中央駅を出発してまもなくすると、綿のような雪が舞い始めました。オーストリアやドイツに暮らして2度目の冬を迎えた私は、冬休みを利用して途中長いことを夢見ていたGeigenbauer(ヴァイオリン)の町、ミッテンヴァルトを訪ねる旅に出かけました。
途中、ドイツの最も高地にあるヴァルヒェン湖に立ち寄って遅いランチを楽しみ、しばらく湖辺を散策。満足していざ宿へ…となるのですが、ここでトラブル発生。今回の物語は、このバス停での会話から始まります。
係員は、私に「雪が深くてバスは運行を取りやめました」と告げました。もう時間は夕方の6時をはるかに過ぎています。ミッテンヴァルトまでの距離は13 kmほどと聞いて、まだ若かった私は歩くことにしました。「たかが13 kmの距離じゃないか」。驕ったつもりはないのですが、季節を考えると、それは甘い考えでした。
目安となってくれるのは、遥か彼方に聳え立つ雪のカーヴェンデル山と、目の前の光だけ。2,000m級の山ですのでとても目立ち、方角のガイド役には適任なのですが、問題は気温。マイナス30度近い寒さの中、行けども行けども雪また雪。膝上のあたりまでの深さに足を取られながら1時間以上歩いても、まだ街の灯りすら見えません。
ドイツの寒さは体験済みだったので冬山に耐える服装なのですが、ここまでの寒さは想定外。降り積もる雪の中で「俺はここで死ぬのか」「いや、そんなわけにはいかない」と、何度も自分を叱り飛ばしながら歩き続けました。歩く、歩く。歩けなくなったら、雪の上に横たわり、しばし休む。この繰り返しです。
ただ、この日の私には強力な味方もいました。ザックの中に忍ばせておいた、スキットル・ボトル(ウイスキーアルコール濃度の高い蒸留酒を入れる小型水筒)です。満タンまで満たしたドイツ製の薬味酒ウンダーベルクを、グビグビっと。アルコール度数44%の酒は、疲れて冷え切った身体に活力を与えてくれます。遭難に負けない生命の熱を心にも与えると、立ち上がり、また1歩ずつ前に進むことができました。ウンダーベルクは、大げさでなく、私の命の恩人なのです。
さて、さらに1時間ほど歩くと、街の灯りが見えてきました。九死に一生の思いで予約しておいた宿に着き、バスタブに注いだ湯の中に体を投げ出すと、「生命の尊さ」を思い知りました。あの日に味わった思いは、今でも忘れません。
そんなわけで、雪の怖さについてはよく理解しているつもりなのですが、降雪の知らせを聞くと、なぜか無性に雪国を訪ねたくなります。なぜなのか自分でもよく理解できません。
先ごろ、新潟県上越市の友人から「今年も大雪に悩まされている」との旨のメールが届きました。かつて雪の中で遭難し、生命を落としかけた経験がある私は、彼の気持ちがよく理解できます。にも関わらず、メールを読んだ途端、上越市を訪ねたくなってしまうのです。自分でも理解に苦しみます。
上越市と言えば、一昨年にイギリス生まれの愛車オーリス号で訪ねたことがあります。夏の季節で、この時も計画的な旅ではありませんでした。当時の私は山岡鉄舟の生涯を学んでいたのですが、その流れで勝海舟の足跡を辿ることになり、ひとりの人物に行き当たりました。その男の名前は、川上善兵衛。上越市にある『岩の原ぶどう園』の創業者で、日本にとっての「ワインの父」「葡萄の父」と呼ばれています。
1868年(明治元年)、越後国は頚城郡北方村(現・上越市大字北方)の大地主である川上家の六代目として生まれた善兵衛翁は、22歳の若さで岩の原葡萄園を継ぎました。「三年一作(三年で一度しかまともな収穫がない)」と言われた当時の水稲単作農家の貧しさに心を痛めていた善兵衛青年は、殖産興業・農民救済のための新産業として、水田を潰さず、かつ痩せた土地でも可能な葡萄の栽培を選びます。さらに、葡萄は主食として貴重な米から作る清酒の代替にもなると考え、葡萄酒づくりに着目。しかしながら、良質な葡萄酒ができる品種は気候が馴染まず、満足な葡萄酒は生まれませんでした。
地域農民の救済が目的ですから土地を移るという選択はありませんし、気候を変えることも不可能。残された手段は、土地に合う良品葡萄の品種開発です。善兵衛翁は、メンデルの法則に基づいた交雑に取り組み、1万種を超える交雑品種を作出。この中から、現在もわが国を代表する赤ワイン品種『マスカット・ベーリー A』をはじめとする22種の優良品種が生まれ、岩の原葡萄園を起点に全国のワイナリーへと拡がりました。この功績により、民間人初の日本農学賞にも輝いた善兵衛翁は、前田正名とともに「日本のワイン葡萄の父」と今も称えられています。
川上善兵衛氏
なるほど、米づくりから葡萄づくり、そしてワイン生産へと至る道のりは理解できました。しかし、彼の最大のアイディアは、ワインの熟成保存です。善兵衛翁は、愛妻ヲコウと結婚8年後に離縁していますが、離婚翌年の1895年5月、第1号となる石蔵を落成させました。この年、初めての石蔵で40石余りの葡萄酒を醸造したと記録されています。さらに2年後の1897年、28歳で「葡萄種類説明目録」を発行。この本の題字を書いたのが、誰あろう勝安芳(海舟)でした。14歳から6年ほど江戸に滞在していた善兵衛翁は、45歳年上の勝から教えを受けていたのだそうです。
岩の原葡萄園が開園する3年前に東京・下谷の小平善平から新しい葡萄の品種や接木の方法を学び、開園をはさんで24歳の時には山梨県勝沼まで土屋龍憲を訪ねてフランスの醸造方法を学んだ善兵衛翁。マスカット・ベーリー Aは59歳の年に交配に成功し、63歳となった1931年に結実。こうして、「越後に川上あり」と勇名を馳せることになります。
川上善兵衛を理解したければ、上越の樹齢古き木から学べ。そう教えられた私は、岩の原ワイナリーから40分ばかり車を飛ばして、上越市郊外の山中にある牧区高尾へと出かけ、琴毘沙神社を訪ねました。境内を覆う推定樹齢800年以上の御神木の前に立ち、こう祈りました。「善兵衛翁の素晴らしさを教えてください」と。
2時間ほど神社で過ごすと、御神木が私に語りかけてくれました。「雪の日に訪ねなさい」。雪を上手に利用した川上善兵衛こそ、厳しい気候風土を味方につけ、最大限に活用した先人。勝海舟は、そんな彼に「困難に打ち勝てば必ず輝かしい成功にたどりつける」というメッセージを贈りました。心に残る御言葉ですね。
雪国の子どもたちは、春の到来を訊かれると「雪が溶けたら」と答えるそうです。東京住まいにはない感覚ですが、その重みは伝わってきますね。雪の向こうにあるものは、私も、あのバス停から始まる13kmの道で学びました。まだ若かった35歳の時のことです。
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
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【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
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2024年10月25日 発行
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