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「運命」を感じに、部屋の中から壮大な旅を【ワイン航海日誌】

「運命」を感じに、部屋の中から壮大な旅を【ワイン航海日誌】

2021年1月19日

ワインの味に魅せられた多くの人々は、その味の素晴らしさを讃えます。今、私はオーストリーの新酒(ホイリゲ2020)を愛でながら「ギルガメッシュ叙事詩(矢島文夫訳・筑摩書房)」を読んでいました。そして、ステレオからは楽聖・ベートーヴェンの第5番「運命」が流れています。まだまだ自由に外出するのが憚られるご時世。今回は、私の部屋の中から旅へ出てみようと思います。

ワインの起源は遥か昔に遡りますが、その前に原料である葡萄の起源を紐解いてみましょう。原種となる植物は、今から約300万年前には地球上に生い茂っていたと語られています。また、糖分を分解してアルコールを発生させる酵母も同じく300万年前には存在したと言われています。勿論、野生の自然酵母でしょう。私たち人間が生まれる以前から自然にワインが存在していた可能性があったことに驚きます。

ワインの起源は諸説様々ありますが文献上に初めて登場したのが、今私が読んでいる世界最古の文学作品とも呼ばれる「ギルガメッシュ叙事詩」です。ギルガメッシュという英雄を主人公とした物語で、シュメール人による世界四大文明の一つ、メソポタミア文明で使用されていた古代文字「楔形文字(くさびがたもじ)」で表現されています。

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粘土板に葦を削ったペンが使用されたそうで、世界最古の出土品では紀元前3400年前に遡ります。皆さんは「ノアの方舟物語」をご存知でしょうか。旧約聖書の「創世記」に登場する大洪水にまつわるストーリーです。実はこの文章と瓜二つの文章がギルガメッシュ叙事詩の第11の書板に綴られています。

「(人びとの)為に私は牛どもを殺した。羊どもをも日ごとに殺した。葡萄の汁、赤葡萄酒、油、それに白葡萄酒を、スープを、私は飲ませた。川の水のほどを、まるで正月のように、私は塗油を開いて私の手に注いだ。第7日目に船は完成した。」

私が思うに、「人びと」というのは船大工を指しているのではないでしょうか。もしそうだとしたら、この当時、すでに船大工達は白ワイン、赤ワイン、油などを飲みながら船造りに勤しんでいたことがわかります。

ちなみにこの文章を書いている今日は2020年12月16日。奇しくもベートーヴェンが生まれた日なのです。そして私は今から51年前、彼の愛したウィーン郊外の村、ハイリゲンシュタットに住んでいました。次はそんな「運命」を感じるベートーヴェンの故郷へ旅をしてみましょう。

1770年12月16日、ドイツのボンに一人の男の子が産まれます。祖父のルードヴィッヒは、我が息子から「お父さん、この子にぜひ名前を付けて下さい」と言われたそうです。そして祖父は「そうか!よし決まった、ルードヴィッヒ、、、ルードヴィッヒ・バン・ベートーヴェンだ」と。ここに楽聖・ベートーヴェンが誕生しました。ベートーヴェンの代表作である「交響曲第6番・田園」の構想を練った伝えられる散歩道が残っているのが、緑豊かなウィーンの森に抱かれたハイリゲンシュタットです。ブドウ畑が広がる静かな地区で、その散歩道は小さなシュライバー川沿いに残っています。名前は「ベートーヴェンガング(ベートーヴェンの小径)」。

なぜベートーヴェンは、ハイリゲンシュタットをこれほどまでに愛したのでしょうか。それは実際に散歩道を歩いてみると少し理解できる気がしました。私もこの地区が好きで、当時は休みになるとよく散策し、さまよい歩いたものです。カーレンベルクの丘までバスで行くと、そこからはウィーンの街を一望できます。ベートーヴェンの気持ちになってブドウ畑の中や、ウィーンの森の中へ。また葡萄畑を歩き、農民たちと葡萄の成熟などを語り合う。小一時間も歩くと、またグリンツィング村にたどり着くという道程です。小鳥が鳴いている、風が吹き小川は軽やかに流れる、村人たちはホイリゲとダンスに酔いしれる。田園の自然は耳がどんどん悪くなっていったベートーヴェンの心を癒してくれたのだと、私は思うのです。

ウィーンのあるオーストリアといえば優れた音楽家を数多育んだ国として有名です。その中の一人にも「運命」を感じる音楽家がおります。作曲家・指揮者であり、交響曲と歌曲の大家として知られている、グスタフ・マラーです。このマーラー、生まれた年は1860年ですが月日は偶然にも私と同じ7月7日生まれなのです。その「運命」を感じに最後はマーラーの作曲小屋へ。

名称未設定-1グスタフ・マラー

マラーはザルツブルク市の東にあるザルツカンマーグートの湖水地方、その湖の一つであるアッター湖畔のシュタイバッハの小さな村に住んでいました。夏休みはここで作曲に没頭していたと云われています。そのマーラー、「愛する妻の故郷で眠りたい」と墓地はグリンツィングにあります。本人の希望により一切の飾り気がない墓石に名前だけが小さく刻まれているそうで、「私の墓を訪れる人なら、私が何者かわかるはずだ」ということらしい。いかにもマーラーの人柄を偲ばせます。実はこのグリンツィング、ワインで有名な街なのですが、マーラーは酒造業者の息子として生まれたにもかかわらずワインはあまり好まず「シュパーテンブロイ」という銘柄の黒ビールが好物だったそうです。ワインを愛したベートーヴェンとは対照的ですね。

今回の旅はチグリス・ユーフラテスの両大河の河口辺りに住んでいたシュメール人の残した「ギルガメッシュ叙事詩」で始まり、「運命」を感じさせてくれるウィーンの音楽家たちに触れた旅物語でした。最後に、楽聖・ベートーヴェンが残した言葉を。

「私の音楽は人々の役に立つものでなければならない 」


著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。

★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
【35】軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン
【36】ドイツ・ミュンヘンの名物イベントに想いをはせて
【37】伊豆、とある館にひそむ物語
【38】旅は人生そのもの、柔道とワインの達人との一期一会
【39】初めての出会いから60年余。いまこそ、贈りたい言葉

 

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