2020年11月13日
1969年4月、私はフランスのワインに魅せられて、わずか500ドルとウィーンへの片道切符だけを持って日本を旅立ちました。
横浜港からナホトカ港までの二泊三日、所要時間52時間の航海。その後はハバロスク・イルクーツクを経由してモスクワまでは延々と続く列車の旅。モスクワ、レニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)で数日間の旅をして、さらにいくつかの国を列車で旅をしながらウィーンに到着したのは日本を離れて二週間ほど後でした。船旅は快適でしたが、列車の旅は地獄のように辛かったのを覚えています。しかし、今でも私の旅の原点は「シベリア鉄道の旅」にあるように感じています。また、その後にオーストリアとドイツで二年ちょっとワインの体験をしたのですが、それは最高の道草となり、82歳の今でも道草の偉大さを噛みしめられる経験に繋がっています。
さて、列車の旅は国を問わず「見知らぬ人との出逢い」に遭遇します。日本を離れて早二年以上が過ぎ、フランスに着いた私はいよいよ憧れの地、ボルドーへ。まだTGV(高速列車)はなかった時代ですが、シベリア鉄道とは雲泥の差で、大自然と観光と農業の街々を車窓から感じながら過ごしていました。
この日、私の隣に座った英国人は、ボルドーでワインを生産している方でした。私がサン・テミリオンにワインを学びに行くと話をすると、ボルドー市内にワインに詳しい日本人の柔道家がいるから訪ねてみるといい、と教えていただきました。それが、オランダ柔道協会の最高技術顧問となり、東京オリンピックで活躍するアントン・ヘーシンクを見いだした、道上伯先生との出逢いでした。
道上先生は1912年に愛媛県八幡浜市で生まれ、京都の大日本武道専門学校を卒業した後に高知商業高校や上海の東亜同文学院で6年間、先生をされました。御子息の道上雄峰氏によると上海滞在時代からフランスの租界(外国人居留地)で良くワインを飲まれていたそうです。お父様の安太郎氏は単身アメリカで15年働き、長男の亀義氏も15歳でアメリカへ。次男坊の伯先生も、子どもの頃から丘の上で八幡浜の港を眺めて、いつか此処を抜け出して海外に渡りたいと考えていたそうです。何度か貨物船に乗せてもらって海外に行こうとするも悉く失敗に終わったという逸話もあるくらいです。
1953年、大日本武道専門学校(京都武専)の恩師である栗原民雄先生から「今、フランス柔道連盟会長ポール・ボネモリ氏が東京に来ている。彼が真の柔道指導者を求めているので君を紹介したい」と連絡が入りました。ポール・ボネモリ氏は後に世界柔道連盟の会長になった男です。そして、この年の7月に一年契約で日本を後にする決断をしました。フランスの彼らが求めていたのは「日本の伝統ある戦前の柔道を伝えて欲しい」ということでした。伯先生はトノン・レ・バンの街などで指導をし、9月にはボルドーへ。こうして先生の欧州に於ける柔道の歴史が始まりました。
先生が常々口にしていた柔道の導きの言葉は「柔道の最終目的は心技体の鍛錬を通じて、立派な人間になろうと努力すること」でありました。「体を鍛えて強くなろうとすれば、技術の鍛錬が欠かせない。技術を身につけようとすれば精神力を強くする。このように心と体と技を同等に鍛錬するのが柔道というものだ。柔道とは人間形成そのものなのだ」と語っていたそうです。「Shin・Gi・Tai」は現在の世界の柔道界では世界語として残っており、道上精神が脈々と続いているのがわかります。
伯先生は1955年、オランダ柔道協会の最高技術顧問となります。その先生が最初に目をとめたのが、アントン・ヘーシンクでした。身長198cm、体重85kgの持ち主であるアントン・ヘーシンクでしたが、当時は顔色の悪い20歳の建設労働者の一人でした。しかし、先生は「飛び抜けて素直な性格と彼のスピード」に目をつけ、指導次第では伸びると直感したそうです。
時は流れ、1964年、東京オリンピックが華々しく開催されました。その中でも全階級金メダルを至上命題とされた柔道は花形種目であり、最も重要視されていたのが「無差別級」でした。日本の代表は全日本選手権大会を3度制し日本最強の男といわれた神永 昭夫氏。そんな最強の男をオランダ人のヘーシンクが破り金メダルを獲得するという大波乱が起きたのでした。その結果は、柔道を学んだ一人として私も複雑な気持ちではありますが、ヘーシンクも道上伯先生の戦前から伝統ある柔道を学んだ柔道家なのです。
夏の暑い日の稽古の後で道上先生引率のもと、酒の勉強だと近くのレストランでワインを教えていただいた事を今でも想い出します。ボルドー産のワインはほとんど飲んだと語っていた先生が一番愛していたワインは樹齢こそ古いがごく普通の造り手産のワインでした。シャトー・ラ・ジョンカード(コード・デ・ブルグ村)は良心的な値段で輸入販売されています。
ボルドーは今まさにセップ葡萄の季節。道上先生が愛したLarmes Rose で愛でて見たいものです。
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
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【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
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2024年10月25日 発行
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