2020年6月1日
この春は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う外出自粛に身を縮めていましたが、いよいよ身体を大きく伸ばせる日が来ましたね。というわけで、緊急事態宣言の解除を受けて「旅の楽しさ」を思い出すために、少し記憶を辿ってみます。
私は、千葉県の佐原で生まれました。日本地図を作られた伊能忠敬翁が50歳まで住んだ町で、子どもの頃は母の故郷である九十九里浜でよく遊んだものです。子ども心に「水平線の向こうには、何か不思議な世界があるのかもしれない」と感じてからは好奇心が高まり続け、高校卒業後の進路として国立高浜海員学校への進学を選びました。
卒業と同時に日之出汽船という会社に入社した私は、さっそく夢がかないます。初めて乗船したのは、奈良の春日大社に肖った「春日丸」という由緒ある名を持つ、一万二千トンクラスの大きな船でした。いきなりの南米航路となったわけですが、当時は、新人にとって「処女航海」が非常に厳しい時代。海が荒れるだけでなく、先輩方の鬼の指導もあり、睡眠時間は長くても3時間という生活を20日間くらい強いられるのです。
この航海では、ハワイから南米のチリに向かう太平洋の航路は荒波が忘れられません。大型船が傾くほどの凄まじさで、チリに到着する頃にはすでに疲労困ぱい。「国立の専門学校まで出て就いた仕事なのに、1〜2時間の睡眠で働くとは」「こんな仕事はやめてしまおう、次の港(同じくチリのバルパライソ港)に着いたら逃げ出そう」と、航海中は本気で思っていました。しかし、いざ港に着くと。「熱田、よく耐えたな」と、船ではあれほど厳しかった先輩がまるで別人のように労ってくれるのです。しかも、その日の夕方には、近くにあるビニャデルマールの町の小高い丘の上にあるレストランに招待してくれました。
チリ(バルパライソ港)
初めての異国の地、美しい海と夕日。先輩おすすめのカルネアサード(ステーキ)をメインに、新鮮なカキやウニなど食べ切れないほどの海の幸が目の前に置かれています。この時、サービスとして出された白い液体と赤い液体こそが、生まれて初めて味わうワインでした。今から60年も昔のことですが、初めて自分の唇に触れた一杯の素晴らしさは、今でも覚えています。そのワインに、そして先輩の優しい人間性にすっかり心を癒された私は、逃げる決意もどこへやら、その夜は泥のように眠りこけました。
翌朝、私の気持ちは「この仕事をずっと続けよう」という真逆の方向へと変わっていました。チリでの体験で俄然ワインに興味を持ち、やがてソムリエの道を志すことになる私は、その後も北米・南米やヨーロッパ各地の港を巡りながら見聞を広めていきます。船員は、現地に到着すると何日か時間ができることがよくありますので、たとえばシシリー島のパレルモ港ではレンタカーを借りてワインの産地を訪ね歩いたり。
約7年にわたりお世話になった船会社の職を辞したのは、東京五輪の開催が2年後に迫った頃です。これからは第三次産業が勢いを増す…ということで、都内のあちこちにホテルの開業し始めていました。1年間インターナショナルホテルスクールで勉強した私も、運よく赤坂の『ホテルニューオータニ』に入社することができました。時は1964年、まさに五輪開催の年のことです。
レストランという舞台の上では、たくさんのお客様との出会いに恵まれました。「空間に宝物を探せ」と教えてくれたのは、アメリカの某ホテルのオーナーでした。『シャトー・ドゥ・レスクール』オーナーのピエール・シャリオールさんからは、ワインのイロハを数え切れないほど教わりました。ピエールさんとの出会いは、さらに深くワインを欲する私を欧州再訪へと駆り立てる原動力にもなりました。
俳人の楠本憲吉さんからも、旅の楽しさや時間の使い方、読書の素晴らしさなどを学びました。楠本先生に関しては、旅に関して特に印象深いエピソードがあります。成田空港が開港する以前、羽田にあった『東京エアターミナルホテル』での仕事中に、突然、徳島県の祖谷(いや)で蕎麦が食べたくなった先生は、何とそのままフライトへ。高知空港に到着後、タクシーに飛び乗って馴染みの店に急行し、ざる蕎麦を注文。食べ終えると、即座に羽田へトンボ返りした…というのです。
俳人 楠本憲吉 先生
この話には愉快なオチがあります。帰京後、地元の空港を早足に歩く後ろ姿に気付いたという高知新聞の記者の方から電話があり、「高知空港でお見かけしましたが」と尋ねられた先生は、「実は斯々然々で」と一部始終を告白。すると、「それは面白い話なので、ウチの紙面に書かせてください」と依頼され、取材を受託。飛行機代からタクシー代まで含めた「お食事代」をまかなえる原稿料が入った…らしいです。
お金はともかく、たった一枚のそばのために高知県の山中のお蕎麦屋さんまで出かけるというバイタリティには、今の感覚でも驚きませんか? 片道だけでも900 km近い距離で、しかも日帰りですからね。これを聞いた私も、すっかり感化されてしまいました。
というわけで、最近は毎月1回、静岡の島田宿は御仮屋町の『ラーメン ル・デッサン』に出かけていました。この恒例の「朝ラーメン」のためなら、片道209 km の距離を車で飛ばすのも苦にならなかったのですが、新型コロナウイルス感染拡大による外出自粛で一時休止に。ラーメン代は千円前後なのに、新東名高速代とガソリン代を加算すると総額1万円を超えてしまいますが、それでも行きたくなるのです。
また、福島県喜多方市山都町からさらに奥に入った「宮古の里」も、私にとっての祖谷のような存在でしょうか。蕎麦の隠れ里とも呼ばれる同地ではお水と塩でいただくのですが、これが格別でしてね。主にJR磐越西線を利用しますが、近隣にバスが走っていないので、最寄りの山都駅からはレンタカーを利用。こちらは東京から片道300 kmほどの距離ながら、年に何回かは訪ねています。
旅の醍醐味は、かの地を訪れる素敵な人たちとの出会いから新しい何かを発見する喜びです。緊急事態宣言が解除された今なら、あの楽しさを味わえます。第二波への警戒を心に留めつつも、さぁ、今こそ旅に出るといたしましょう。
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
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2024年10月25日 発行
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