2019年11月28日
旅人生活をしていると、悠久の歴史の渦に身を投じたくなることが多いですよね。
ちょっと前の話になりますが、某保険会社から依頼されて、ある月刊誌に明治天皇の大嘗祭について書かせていただきました。大嘗祭については、昨今の新聞などで大きなニュースとして報道されていますので、ご記憶にも新しいかと思います。
大嘗祭に関する私の理解を簡単にまとめますと、こんな具合です。毎年、天皇陛下は、皇城内に於いて新米を神様にお供えになる新嘗祭を行っておられます。大嘗祭は、新天皇が最初に行われる新嘗祭のこと。儀式の日は、祭服を着た天皇がその年に収穫された米や白き酒、黒き酒などを神々に備え、自らも食しながら国と国民の安寧を祈り、五穀豊穣に感謝します。すなわち、大嘗祭は、神道による儀式にして一世一度の皇室行事。今年、繰り返し報道されてきた通りですね。
ちなみに、この大嘗祭という呼称は、第39代 弘文天皇までは新嘗祭で統一されており、第40代 天武天皇から区別されるようになったようです。戦乱などで室町から江戸前期の約220年間は中断されていましたが、この例外の期間を除き、皇室の伝統として受け継がれてきました。
では、この皇位継承に伴う重要祭祀である大嘗祭に使われるお米は、一体どのような方法で産地が選ばれるのでしょうか。斎田点定の儀にて、亀の甲羅らを用いた古来の占い「亀卜(キボク)」を行うために、宮内庁は一年半も前からアオウミガメの甲羅の確保に奔走します。亀の甲羅を火であぶり、ひび割れの具合から、大嘗祭で供えるお米を育てる悠紀地方と主基地方を決定するのです。
今回、宮内庁は、上皇さまのご譲位が決まった平成29年12月から準備を始めたそうです。アオウミガメは絶滅の恐れがあることを受け、一定量の漁を東京都から正式に認められている小笠原村に協力を依頼。その結果、昨年春に捕獲された8頭分の甲羅を確保しました。ちなみに、この亀卜は、皇室の他にも長崎県対馬でも行われています。地域の一年の吉兆を占っているとのことですので、ぜひ次回の実施に合わせて旅してみたくなりました。
亀卜で悠紀・主基の双方が決められると、それぞれ米を育てる田んぼ(斎田)が設けられます。今回の場合、悠紀地方は栃木県高根沢町大谷下原にある水田で、大田主は石塚毅男さん(55才)に、お米の品種は「とちぎの星」に決まりました。ちなみに、関東の田が選ばれたのは、明治天皇の大嘗祭以来2例目という快挙でした。主基地方は、京都府南丹市八木町の田んぼで、大田主は中川久夫さん(75才)、米の品種は「キヌヒカリ」です。大切に育てられたお米の「抜穂の儀」が無事に終わると、今回の大嘗祭のように、神前に供えられます。
写真:とちぎの星
さて、宮内庁によると、47都道府県の内、新潟、長野、静岡を含む東日本から悠紀地方を、西日本から主基地方を選出したそうです。一方、明治4年11月17日、東京府大嘗宮で開催された明治天皇の大嘗祭では、悠紀田が山梨県甲府市、主基田も千葉県鴨川市と、両方が東日本から選ばれています。ちなみに、大正天皇は香川県と愛知県、昭和天皇は福岡県と滋賀県、平成天皇は大分県と秋田県です。
甲府市の悠紀斎田は、現在は公園になっており水田は残っていませんが、鴨川市の方は記念公園と田んぼが残っています。長狭通りを少し入った所にある記念すべき斎田は、亀田酒造の現会長、亀田芳雄さんに教えていただきました。大正15年生まれの会長からは、近年の大嘗祭の生き字引のような方です。亀岡酒造の歴史は古く、宝歴7年(1757年)に山伏滝乗院宥寛により御神酒が造られてから、現代表の亀田雄司さんで実に9代目を数えます。
会長さんからは、大嘗祭のことをたくさん教わりました。というわけで、ここでは使用される黒酒と白酒について、うかがったお話をまとめてみます。
平安時代、醍醐天皇は藤原時平を呼び、延喜の御代の規約法律社会体制などについて後世に残すように命じました。時平は、11名の委員を委嘱し、20年を費やして全50巻の書物を作ります。これを「延喜式」と言い、古代を知る上での重要な資料となりました。これによると、皇位の継承には、悠紀と主基で2つの社を作り、各々に所属する斎田を指定し、そこで採れた稲穂と白酒、黒酒を神前に供え、大嘗祭という祭事を経て、はじめて新たな天皇が即位できる…とのこと。
会長さんは、白き酒について、貴重な体験談をお話しくださいました。明治神宮に奉納献上される白き酒は、米は主基斎田のコシヒカリ、50%精白の高精白米を用いた大吟醸白酒で、約1か月をかけて慎重に管理されました。畏れ多くも明治天皇、昭憲皇太后さまでご神前にお供えされる酒ですから、身を清め、心を清め、真剣に取り組まれたそうです。
出来上がった白酒は、9リットル入り2本に収められ、ご神前に供えられます。なお、黒き酒は、現在は久佐木という少し香りの強い草木を焼いて灰を造り、白酒に混ぜるのだとか。上代の時代は不明ですが、平安時代から久佐木の灰を使い出したらしい…とのことでした。室町時代には、黒ごまを用いて造られていたという説もあります。
…と、話題は尽きませんね。こんな素晴らしいお話を聞けるのですから、旅は楽しいのです。もうすぐ年末年始。皆さんも、ぜひ歴史に触れてみませんか?
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
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2024年10月25日 発行
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