2018年7月26日
ワインを楽しむ喜びは、食卓の上にだけあるとは限りません。歴史に名を刻む偉人たちが、いつ、どんなワインと、如何なる関係を持っていたのか。そんな逸話を訪ねるために旅に出るのは、何とも楽しいものですよね。というわけで、今回は、静岡県から「とある偉人と酒」のエピソードをご紹介します。
いつの頃からか、気付くと私は人間・山岡鉄舟の生きざまに惚れ込んでいました。ご存じの通り、江戸城無血開城に力を尽くした真の武士、勝海舟や高橋泥舟とともに「幕末三舟」とも称される明治維新の立役者の一人ですね。西郷隆盛は、遺訓の中で「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業成し得えられぬなり」と語っていますが、これは山岡鉄舟を評したものだと言われています。
その鉄舟が兄と慕うのが、勝海舟です。勝海舟と言えば、雪深い越後頚城平野の「岩の原葡萄園」が思い浮かびますね。「日本のワインと葡萄の父」と呼ばれる創業者の川上善兵衛氏の名とともに、「越後に川上あり」と中央にも知れわたっていた、日本最古のワイナリー。確かに勝海舟の耳にも入っていたでしょうが、それだけの理由で現・上越市北方の豪雪地を訪ねたのでしょうか。何しろ、気軽に出かけられる今とは時代が違いますからね。
ひとたび疑問に感じると、いてもたってもいられません。夜の8時に東京を出発し、夜の上信越自動車道を愛車を飛ばして片道320km。「勝海舟の秘密に触れられるかも」「ひいては山岡鉄舟のさらなる深遠にもたどり着けるかも」ワインの旅なのか、歴史を巡る旅なのか、ともかく素晴らしい答が私を待っていると信じながら、車内で何回も何回も般若心経を唱えてはアクセルを踏みます。決して短い距離ではありませんが、彼らの世界に通じる糸口が開けるかもしれない……と想像するだけで、疲れなど吹きとびます。
道の駅でシャワーを浴び、車中にてしばしの仮眠。80才を迎えて改めて気付く密やかな旅の楽しさは、病み付きになりそうです。朝4時に起き、地元のラジオ局にチューニングを合わせると、タイミングのよいことに上越市の観光スポットを紹介していましたので、それをガイドに現地を訪ねてみました。
牧区の高尾集落にある琴毘沙神社、境内に聳える大ケヤキ。樹齢800年を優に超えているそうで、神木として大切にされているそうです。地元の人々が「老(おい)の木」と呼ぶこのケヤキは、春の季節は豊かに芽吹き、秋は紅葉も素晴らしいとのこと。記帳ノートを拝見しますと、毎月、東京から参拝されている方も。これはもしかしたら川上善兵衛、そして勝海舟も参詣されたのでは……と想いを馳せずにはいられませんでした。
今回の小旅行は2泊3日の日程で、長野を経由しつつ山梨県石和にも一泊。ホテルの窓から霊峰富士の勇姿を仰ぐと、自然に山岡鉄舟の名言がよぎりました。
「晴れて良し くもりて良し 富士の山 もとの姿は 変らざりけり」
何度も口ずさんだ、この言葉。そのたびに、あらゆる煩悩が心地よいほどに忘却の彼方へと消え行く感覚に包まれます。
帰京後は、今度は鉄舟の「聖地」を巡りました。1836年7月23日に師が生を受けた地は、現在の墨田区亀沢四丁目、堅川中学校の校内の南角にあります。建物は残っていませんが、「山岡鉄舟旧居跡」の碑だけが静かに佇んでいました。
ちなみに、勝海舟の生誕地も近いんですよ。墨田区両国四丁目、現在の両国公園の中にあります。酒は強かった彼は、あちこちに足跡を残していますね。岩の原葡萄園もそのひとつで、私の故郷にも訪れています。明治15年、千葉県佐原の銘酒「海舟散人」(大吟醸)を生産する馬場本店酒造に、ひと月ほど滞在。海舟散人という名称は、残した掛け軸に記された号にちなんだものだそうです。
さて、話を戻しましょう。生誕地を訪ねたあとは、鉄舟ゆかりの寺を訪ねました。まずは、東京、向島にある「木母寺」へ。隅田川の畔りに近い小さなお寺さんですが、芸道上達の寺として1000年の歴史を誇るとのこと。この由緒正しい寺の境内に、鉄舟の筆による三遊塚があります。題字が山岡鉄舟、銘文が高橋泥舟の「二舟」による書。う〜ん、たまりませんね。
そして、谷中にある臨済宗全生庵へ。明治16年、明治維新で命を落とした英霊たちの菩提を弔うために造られたお寺さんです。鉄舟も、自身が開基であるこの寺の墓地に眠っています。
以上の都内の「聖地巡礼」は、昨日の話。この文章を書いている今日・7月19日、私は静岡市清水区の鉄舟寺を訪ねました。今日は、師の命日です。合掌。
今回旅の土産話として、最後に、ひとつ。人間・鉄舟は、お酒は強かったのでしょうか。全生庵の関係者の方から、貴重なお話をうかがうことができました。
「鉄舟先生は非常に強かった、と聞いています」
申し出には必ず受けるほどだったそうです。では、ワインはどうでしょう? 師は、白ワインがお好きだったとのこと。なぜか自分を褒めていただけたかのように嬉しく思った私でした。
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
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2024年10月25日 発行
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