2024年6月5日
初めてワインと遭遇したのは、20歳になってすぐの頃でしょうか(もしかしたら20歳前だったような)。その日、私は酒処・新潟県新発田市ご出身のS先輩に誘われました。
『さあ、お前も今日から大人の仲間入りだぞ!』
グラスに入った真っ赤な液体をグイ〜ッと3杯ほど一気飲みしたのが、産まれて初めてのワインとの出逢い。呑んで食べて酔いに任せて、普段は超が付くほど真面目一辺倒のS先輩が「さあ、今夜こそ一気に天国体験だぞ!」と喚きます。
「天国体験!何ですかそれ!」というわけで、彼は南米三大美港の一角として有名なアルゼンチンのブエノスアイレス港の賑やかな繁華街の一画、25 de majo 通りにあるクラブへと案内してくれました。その店の名前は今でも覚えています…club paraiso。店内ではラテン音楽が心地よく流れていました。
🎵 Besame Besame Mucho
Como Si Fuera Esta Noche La Ultima Vez
Besame Besame Mucho 🎵
ワインの酔いとラテンの調べに身を委ね、時が夢のように流れます。初めて訪ねた異国の地で、私の新しい人生が始まろうとしていました。S先輩の仰る通り、その日の私は、まさに天国の世界を垣間見たのかも知れません。
航海中の1年間、先輩は沢山の事柄を教えてくださいました。ワインだけではありません、人間として最も大切な言葉の素晴らしさを教わったのです。当時の私は、千葉から出て来た方言丸出しの田舎者でした。そんな私に、先輩はこんな言葉をかけてくれます。
『なあ熱田!ワインを飲む時は、ワインやワインを造ってくれた人達に感謝の言葉を忘れないようにな!』『注がれたグラスの中のワインに「ありがとう」と一言そっと言葉を掛けてごらん』
食に関連して、仏教の「五観の偈」を教えてくださったのもS先輩でした。
『一には 功の多少を計り 彼の来処を量るべし』
ひとつ、この食事が出来上がるまでに、どれだけ多くの人々の苦労があったか、どれだけ多くのご縁の支えがあったか。想いをめぐらせ、合掌して、心の中で「いただきます」と語り掛ける…。
五観の偈は、食前に唱える心構え。五つの短い経文から成るのですが、ひとことで表現すると以下の通りになると理解しています。
感謝する。
振り返る。
貪らない。
食べ物は薬。
仏道を歩む。
これらの教えは、ワインを味わう姿勢にも通じるところがあると思います。一杯のワインを愛でる時には、能書きを語る前に、値段や品質を云々する前に、まずはワイン閣下に感謝の言葉を語りかけてみませんか!ぜひ心からの褒め言葉をかけてあげてください。
褒め言葉と言えば、皆様はGastrophysics(ガストロフィジクス)という言葉を耳にしたことがおありでしょうか。オックスフォード大学の心理学者、知覚研究者として世界的に有名なチャールズ・スペンス氏が推し進める美食と精神物理学を組み合わせた研究です。ガストロフィジクスは、日本では2018年2月に出版された書籍『「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実』で注目を集めました。
(長谷川圭 訳)
食を科学的面から探究する本で、とても興味をそそられますね。食べ物ももちろんですが、この本を何度も何度も読み返せば、ワインの世界についてもより深く、奥の奥まで分け入ることができると思います。
ワインは、その味わいだけでなく、歴史や葡萄畑の情景なども感動を揺り動かす要素になりますよね。口に運べば自然に感謝が湧いてきますが、そんな気持ちを褒め言葉に込めれば、葡萄やワインにも伝わるのでは?善と悪、陰と陽。言葉というのは不思議なもので、ひとたび口に出ると言霊へと変化し、それを聴く人の心に幸せや喜びを届けたり、時にはまったく逆の効果を与えたりしてしまうものです。
ところで、一般的に、ワインには賞味期限が表現されていません。となると、ワインの管理は保有者の責任。しっかりしたワイン蔵を持つことは、多くのワイン愛好家が夢に描いています。
最高の条件のワイン蔵を持っていても、ボトルの寝かせ方はボルドー型瓶とブルゴーニュ型瓶で微妙に違います。ワインは、人間と同じように枕を欲しがりますので、上の写真のように木の板を使用します。香りのない板がベストで、これでワイン庫の空気の流れが最高の条件を満たします。
夢が叶うと、蔵には自慢のコレクションが増えていきますね。その時は、一本一本のワインたちに優しい言葉を語りかけてみませんか。「体調は如何ですか」「風邪は引いてはいませんか」…なんて?
言葉と言えば、思い出すことがあります。私には何軒か行きつけの店があるのですが、訪問して「予約した誰々です。」とお伝えすると、マネージャさんは丁寧に「いらっしゃいませ!3名様でしたよね!」と丁寧に挨拶してくださいます。でも、何となく納得できなかったり。なぜ?
昔むかしのこと、7年ぶりに南米から日本へと帰ってきた私は、NHK のさるお方様から1年かけて「正しい中央の言葉」を教えていただきました。中央の言葉とは、NHKのアナウンサーの皆様方がお使いになる言葉ですね。その記憶に照らしますに、先程のレストランのマネージャさんの「いらっしゃいませ」は命令口調なので、「ようこそいらっしゃっいました」を縮めて「いらっしゃいまし」と発するのが正しいのでは。
実際、その頃に働いていたレストランで「いらっしゃいまし」とお迎えすると、最初はお客様にもスタッフにも笑われましたが、それでも頑なに通したものです。同様に、「3名様でしたよね」も「御三方様でよろしかったですね?」となります。でも、これも正しいのかどうか…日本語って難しいですよね!
とまあ、当時は田舎の方言丸出しだった私が分かったような能書き言ってもはじまりません。でも考えれば考えるほど、言葉って面白いのです。
地元でもある千葉の田舎を旅していた時のこと。現地で出会ったおばあちゃんが、畑の胡瓜にこんな言葉をかけていたのを見たことがあります。
🎶 胡瓜ちゃん!曲がってもいいよ!?天道様も燦々と照りつけてくれるから、スクスク育ってくれな!
胡瓜の前で歌でも歌うかのように語りかけている姿に、思わず見惚れてしまいました。おばあちゃんの語りかける一語一語が言霊になって、胡瓜に伝わっているかのように見えるのです。やっぱり、言葉って大事なんだなあ…と、しみじみ。
最初に触れたガストロフィジクスとは、ガストロノミーとサイコフィジクスを合わせた造語です。これからの飲食の世界は、お値段や星の数などに関係なく、トータルに研究する時代になっていくのでしょう。
もちろん、葡萄とワインも然り。
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
【35】軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン
【36】ドイツ・ミュンヘンの名物イベントに想いをはせて
【37】伊豆、とある館にひそむ物語
【38】旅は人生そのもの、柔道とワインの達人との一期一会
【39】初めての出会いから60年余。いまこそ、贈りたい言葉
【40】「運命」を感じに、部屋の中から壮大な旅を
【41】雪の向こうに見えるもの。川上善兵衛に、改めて敬意を。
【42】散切り頭を叩いてみれば…明治は遠くなりにけり
【43】風の道、森の恵み…ワイン造りに大切なもの。
【44】風は淡い緑色…茶の安らぎを求めて静岡県島田市へ
【45】なくても生きてはいけるが、なくては人生じゃない。
【46】北海道・仁木町の雪は、葡萄とヴィニュロンの心強い味方。
【47】偉人たちが贈った賛辞とともに、ワインを愛でるひととき。
【48】木は日本の心、櫛は心を梳かす…秋が深まる中山道の旅。
【49】千年後に想いを馳せて、イクアンロー!北海道・阿寒のワイン会。
【50】葡萄が「えび」と呼ばれた時代を偲んで…「本草学」のススメ。
【51】カスタムナイフの巨匠は、なぜ「栓抜き」を手がけたのか。
【52】夢の中に御出現! 摩訶不思議な鳥居をめぐる京の旅
【53】明言、金言、至言…先人の御言葉とともに味わう春のワイン
【54】日本の酒文化のルーツは?古の縄文時代を目指す想像の旅
【55】一杯のワインとテディベアが、世界平和に役立ちますように
【56】チリで、フランスで、北海道で。出逢いに導かれた84年。
【57】神話の里、日本一の庭園を擁する美術館への旅。
【58】ワインを愛でる前にそっと心の中で「五観の偈」を思い出してみる
【59】毎年恒例の「北の大地」への旅、今年も学ぶこと多し
【60】一人の女性画家の世界観を訪ねて、春近き箱根路の旅。
【61】大都会の静寂の中で思うこと。
【62】1960年代、旅の途中で出会った名言たち
【63】北海道・常呂で出会った縄文土器、注がれていたのは?
【64】ワイン好きならぜひ一度、北海道・仁木町のワイナリーへ
【65】もう二度と出逢えないパリのワイン蔵
【66】訊いて、訊かれて、60年余。「ワインって何?」
【67】もう少し彷徨いましょう。「ワインとは何か?」
【68】雪の山形、鷹山公の教えに酔う
【69】ワインの故郷の歴史と土壌、造り手の想いを知る歓び
米国人気ブランドJackery×Jeepのコラボレーションが実現 Bring Green Energy To All. グリーンエネルギ…
記事をもっと見る1908年に創業したフランスの名品〈パラブーツ〉。 特徴であるラバーソールの大部分を自社で製造するほど品質へのこだわりを持つシューズメーカ…
記事をもっと見るセカンドハウスはもちろん、投資・節税対策に!「京都」駅徒歩8分のデザイナーズレジデンス インバウンドが急回復する中、再び内外の観光客が大挙…
記事をもっと見る地下鉄南北線・三田線「白金台」駅を出てすぐの場所に、戦前に建てられたフォトジェニックな歴史的建造物がある。1938年に竣工した旧公衆衛生院…
記事をもっと見る氷にも耐えうるアウター、こだわりの”カナダグース”46615pv
トヨタが提案する車のサブスクリプションサービス43748pv
上に乗るだけで体幹づくり、ドクターエアの威力とは42817pv
2024年10月25日 発行
最近見た記事