2023年3月30日
2004年のアテネ五輪、2009年・2012年にも日本代表に選出。2009年にはJリーグのベストイレブンにも選ばれている。いずれも素晴らしい実績だが、彼が所属したクラブのファン・サポーターは、それ以上に胸を熱くすることがある。
移籍から2017年の引退まで、クラブ最長となる15年にわたり『FC東京』の顔であり続けた希代のスピードスター、元プロサッカー選手の石川直宏さん。完全燃焼の後もクラブに残り、現在はクラブコミュニケーターという役職で活動中だ。Jリーグが掲げる社会連携活動「シャレン!」とも連動しつつ、単なる広報宣伝ではないクラブ独自の取り組みを展開している。
この5月12日には国立競技場で大試合を控えるFC東京。今回は、いわゆるスポーツ選手のセカンドキャリア問題にも、さらには企業と地域の関係づくりにもヒントが満載のインタビューをお届けしたい。
|この5月12日に国立競技場でJリーグ30周年を記念するスペシャルマッチとして、川崎フロンターレとの大一番が控えていますね。
僕、30年前の1993年5月15日、ヴェルディ対マリノスの開幕戦を国立競技場で観てるんですよ。当時は小学6年生で、あの試合でサッカー選手になろうと思ったんです。20周年の時は、同じ国立での試合に出場して、得点を決めることができました。加えて、5月12日は僕の誕生日。もう素晴らしい1日になる予感しかしませんね(笑)。
|そして30周年ではコミュニケーターという役割で関わられるわけですね。まずお仕事の内容を教えてください。
ホームタウンとの関係性を深める活動全般ですね。防災や清掃、農業などのサポートから小学校や病院の小児病棟、少年院などへの訪問、それに地元企業とのコラボなど、行政とも連携しながら互いの顔が見える距離感づくりを目指しています。サッカーと別の要素を掛け合わせる感覚で、選手も積極的に協力してくれています。
|ファン・サポーターに発信する従来型の活動とは少し違うのですね。
今は「東京」自体がピッチですからね。街にはさまざまな想いを抱える方々がいて、さまざまな課題が発生しています。そんな中で、サッカークラブに何ができて、どう寄り添えるのか。サッカーファンの外側にも枠を広げて、駆け回りながら対話を重ねています。
|FC東京への愛情が伝わってきますね。
クラブを盛り上げたいという気持ちは、以前より強いかもしれません。どんな組織でも同じかと思うのですが、現場とビジネスサイドは互いの実情が見えづらい部分もあります。僕は両方を見ていますから、間に立つことができます。ファン・サポーターや地元の方々も含めて、いろいろな視点から自分たちの姿を確かめながら、クラブの未来に向き合っていきたいですね。
|石川さんにとってスポーツの一番の魅力は何ですか?
「つながり」ですね。選手とクラブとサポーターをはじめ、すべてをつなげてくれるんです。観戦時も、一人の選手に思いの丈を乗せて、ワンプレーに笑って泣いて怒るのですから、もう他人ではないですよね(笑)。以前は「FC東京を応援したい」「試合を観に行きたい」と感じていただけるプレーだけを考えていて、今はそれを地域コミュニケーションに置き換える形で活動していますが、皆さんに喜んでほしいという思いは現役時代と変わらないんですよ。
|では、このスペシャルマッチの見どころをお願いします。
国立競技場は一種独特なエネルギーに満ちていますので、ぜひ身を置いてみてください。Jリーグ屈指の演出もあって盛り上がりは間違いなし、質の高いプレーも目の前で続出します。身震いする一体感、非日常的なワクワクを全員で共有しましょう。ぜひお越しください!
石川 直宏さん
1981年生まれ、神奈川県横須賀市出身。5歳の時に横須賀シーガルスでサッカーを始める。中学からは横浜マリノスジュニアユース、ユースを経て2000年にJリーグデビュー。2002年まで横浜F・マリノスに所属したのち、2002年にFC東京へ移籍。その後2017年に引退するまでの15年間選手として活躍した。2004年にはフェアプレー賞、2009年にはJリーグのベストイレブンにも選出。代表では2001年U-20W杯日本代表として背番号10番を背負って出場、2003年に香港戦で国際Aマッチ初出場を果たす。2004年には日本代表としてアテネ五輪にも出場、2009年・2012年にも日本代表に選ばれている。引退後はFC東京クラブコミュニケーターに就任。今度は活躍の場をピッチの外に移し、FC東京と地域をつなぐ架け橋のような活動を展開している。
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2024年10月25日 発行
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