Special Issueビズスタ特集

憧れが現実に変わる、その瞬間はきっと誰にでも訪れる。

憧れが現実に変わる、その瞬間はきっと誰にでも訪れる。

2017年5月26日 PR

コンやミニカーを集めた少年はさぞかし多かったことだろう。そして1980年代後半に差し掛かると、街中を颯爽と駆け抜けるその姿を羨望の眼差しで追いかけた人も多かったはずだ。

子供も大人も男という生き物は何故スーパーカーに魅了されるのだろうか。メカニックへの興味、圧倒されるようなパワー、未知なるスピードへの憧れなど、色々と考えてはみたものの、その理由は「格好いいから」という至って単純なものなのかもしれない。

いつの時代もスーパーカーは男たちの憧れであり、夢であった。しかし「大人」という言葉が本当にしっくりと体に馴染むようになった今、スーパーカーは決して手の届かない夢ではないのかもしれない。

過去から未来へ、颯爽と駆け抜けていく、ポルシェの軌跡

「私の夢を実現してくれる車はごこを探しても見つからなかった。だから自分でつくることにした」

これは20世紀最高の自動車設計者と称されるフェルディナンド・ポルシェが語った言葉である。ポルシェと聞いて真っ先にイメージするのは、1963年に登場した911シリーズだろう。

スーパーカーやレーシングカーとしてもイメージが色濃いポルシェだが、ポルシェ博士ことフェルディナンド・ポルシェの最大の功績は、実用的かつ先駆的な自動車技術を確立したことにあると言われている。例えば、ビートルの愛称で親しまれるドイツの大衆車フォルクスワーゲン・タイプ1を開発したのは、フェルディナンド・ポルシェである。「ドイツ国民全員が自動車を保有できるようにする」というヒトラーの政治的構想の下、開発されたビートルは当時の小型車のなかで性能・耐久性・燃費・価格などあらゆる要素が群を抜いて優れており、世界最多の累計生産台数を記録したのである。また、さらに付け加えるならば、今から100年以上前に世界で初となるハイブリッドカーも開発しいているのだ。「私の夢を――」という前述の言葉通りに、革新的な自動車をつくり続けてきたフェルディナンド・ポルシェがいかに優れた技術者であったかは想像に難しくないだろう。

スポーツカーとしてのポルシェを確立させたのは、技術者の才能を受け継いだ息子のフェリー・ポルシェである。1948年にフェリー・ポルシェが開発した初の小型スポーツカー356は、なんと誕生からわずか1ヶ月後にインスブルック・シュタットレンネンのレースでクラス優勝を果たすのだ。356のなめらかで丸みをおびた芸術的なフォルムのボディ、水平対向エンジン、RR駆動方式などは、誰もがイメージするスポーツカーポルシェの原点と言えるだろう。

その後、356の後継車として911が開発されるのだが、ポルシェの車名はこのように356や911といった数字で表されるものが多い。これは、ポルシェが設計した各図面に記した設計ナンバーを意味する。ポルシェ社は今では自動車メーカーとして知られているが、もともとはフェルディナンド・ポルシェが設立した設計事務所を母体に設立された会社である。自動車に限らず、ドイツ国防軍の戦車や風力発電機などの設計も手掛けており、1971年に打ち上げられたアポロ15号によって月面に持ち込まれた月面車にも、ポルシェの技術が生かされている。ポルシェの設計ナンバーは自動車だけでなく、このような戦車や設計を手掛けた一つひとつの部品にも割りふられているのだ。

つまり、356はポルシェにおける356番目設計図面であるということ。では、911は911番目の設計図面かというと実はそうではなく、これにはちょっとした裏話があるのだ。911の図面にはもともと901というナンバーが付けられており、当初は901として発表が行われた。しかし、フランスの自動車メーカーであるプジョーが中央に0を持つ3桁のモデル名を商標登録しており、異議を申し立てたのだ。そのため、ポルシェは901のモデル名を911に改め販売することになったのである。ポルシェにとっては予定外の出来事だったが、この数字の組み合わせは米国の緊急電話番号と同じであり、ポルシェの重要な市場において馴染のある番号で販売したことは、結果的にプラスに繋がったはずだ。

1963年に誕生した伝説の名車911は半世紀以上の月日が流れた今も、現代の911シリーズとしてポルシェの象徴であり続けている。もちろん初代911と比べると、パワー、俊敏性、走行安定性、安全性などあらゆる性能は圧倒的に向上している。しかし、徹底した計量設計やシンプル・イズ・ベストという設計理念、丸みを帯びた独特なデザイン、そして何より人々を熱狂させる力は不変であり、むしろさらに磨きがかかっていると言えるだろう。多くの人にとって、ポルシェ911は憧れのスーパーカーであり、手の届かない夢の車であったはずだ。しかし、高級車として認識されていたかといえば意外にもそうではない。高額なことに間違いはないが、あくまでも金がかかっていたのは走りの骨格となる部分。内装などそれ以外の部分にはさほど金をかけておらず、高級車ではなく徹底した高性能車だったのだ。

ポルシェは頑ななまでに性能のみを追及してきたが故に、空冷時代末期では乗りこなすのが難しい扱いづらい車として位置付けられてきた。しかし、そんなポルシェも最近のモデルは女性ドライバーでも運転しやすいと、乗りやすさや操作性が高く評価されている。また、高性能に加え高級車としての要素もプラスされ、乗り心地の良い車へと進化しているのだ。

高級車としての色合いを持っても濃くするのが、4ドアセダンのパナメーラである。特に先日リリースされた新型パナメーラは、大型タッチパネルを採用するなど内装においても新機能が数多く採用され、ラグジュアリーセダンとして注目を集めている。

「ポルシェといえば911」そんなイメージが定着していたからこそ、2002年のカイエン、そして2009年のパナメーラの登場には誰もが衝撃を覚えただろう。「ポルシェはもうスポーツカーではないのか」なかにはそんな寂しさを感じた人もいるかもしれない。だが、安心して欲しい。カイエンもパナメーラも、姿こそ911とは違えども、間違いなくポルシェが誇るスポーツカーである。カイエンはあらゆるロードや地形を駆け抜けるスポーツカーのオールラウンダー、そしてパナメーラは高級サルーンの快適さを兼ね備えた一流のスポーツカーだ。また、カイエンの弟分にあたるモデルとして、2014年に発売されたマカンにも高いスポーツ性に貫かれた遺伝子が確実に受け継がれている。いずれのモデルも優れた駆動力と俊敏性で卓越したパフォーマンスを実現し、ポルシェならではの刺激的なサウンドを奏でてくれる。中央に設置されたタコメーターやドア側にあるキーの差込口、そしてプッシュ型ではなくキーを回してエンジンをかける使用もサーキットを駆け抜けていた頃のままだ。

ポルシェは新しいモデルを登場させることで、スポーツカーの可能性と選択肢を確実に広げている。モデルが増えたことで価格の幅も広がり、マカンにおいては600万円台から新車を手にすることができる。かつて、スーパーカーとして憧れの象徴であったポルシェも、羨望の眼差しで眺めるだけのものではない。きっと今ならそのハンドルを握り、現実のものとしてたのしんでみてもいいのではないだろうか。

モータースポーツの世界で戦い続ける、ポルシェのハイブリッド

100年以上前にハイブリッドカーを開発していたポルシェは、現代の環境性能への要望に応えるべく2010年にパナメーラとカイエンのハイブリッドモデルをリリース。そして、そのハイブリッドの技術は、スポーツカーたるポルシェの原点ともいえるモータースポーツの世界にも転換されていった。ポルシェがこれまで何度もモータースポーツの歴史を塗り替えてきたが、2014年に開催されたル・マン24時間レースにポルシェは911ハイブリッドで参戦した。2015年、2016年には優勝を飾り、1951年のル・マン参戦から18回目となる自信の最多優勝回数記録を更新。ハイブリッドという最新テクノロジーの分野においても、ポルシェはその実力を世界に知らしめているのだ。

 

新たに誕生したパナメーラ4E-ハイブリッド。このモデルは発進から100km/hまでわずか4.6秒で到達し、最高速度は278km/hをマーク。卓越したパフォーマンスと傑出したパワーでハイブリッドテクノロジーのイメージを一変させる、正真正銘のスポーツカーである。

ポルシェ


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