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450年の時を経て現代に蘇った戦国大名の庭園。大友氏が愛した景色がついに完成

450年の時を経て現代に蘇った戦国大名の庭園。大友氏が愛した景色がついに完成

2020年7月3日 PR

大友宗麟公像
“豊後王”大友氏の栄華を物語る庭園

日々忙しいビジネスマンこそ、時には、偉人たちが築いた歴史文化に思いを馳せてみてはいかがだろう。
2020年6月5日に公開された大友氏館跡庭園は、全国的にも珍しいほどの忠実な再現度を誇る、一見の価値がある名所としておすすめしたい。
国際貿易都市・豊後府内に造られた大友氏の館及び庭園は、1998年に発掘調査が始まり、平成28年から続く復元工事が令和2年にとうとう完成した。
巨大な池や、当時を思わせる樹木や景石まで細部にこだわり、全国的にも珍しい庭園として注目をあつめている。
大友氏といえば、戦国時代に台頭し、21代当主・宗麟の時代に最盛期を迎えた大名だ。大分県民、いや、九州に住む人たちならば、大友宗麟が九州の歴史を語る上で重要人物だという認識を持つ人が多いだろう。宗麟は戦国時代に、北部九州6カ国の守護職に任命され、“豊後王”の異名で一時代を構築。キリシタン大名として、日本初となる西洋式の病院や育児院の建設を援助したとされている人物。弱肉強食の戦国時代において、“弱きを助ける”ことを大切にしていた徳の高さから、現代にも語り継がれている歴史上の巨人だ。

緻密な分析で樹木や景石も再現

大友氏の庭園は、約500年前の大友家19代当主・義長の頃に造られ、今回再現された庭園は、宗麟の時代に改修し、大友氏の栄華を物語った大作だ。

中世の庭園などは、当時の姿を再現することが難しいとされているが、大友氏館跡庭園は、発掘調査によって確認された遺構をもとに再現することができたという。
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池の大きさは、東西67m、南北30mにも及ぶ、戦国大名の館に築かれた庭園としては最大級であることが特徴的な庭園。中島や石を敷き詰めた洲浜、築山や滝などもあり、自然美を一望できる日本庭園となっている。

小さな石を敷き詰め全体的に広々とした印象を与える「西池」や、巨石などを多く配し力強い躍動感に満ちた「東池」など、大友氏が趣向を凝らしたこだわりの景観を、心ゆくまでじっくりと鑑賞しよう。

庭園を彩る樹木や景石なども、当時の姿を再現しているというが、なぜそのようなことが可能だったのだろうか。

それは、発掘調査の際に土の成分を細かく分析することで、種子や花粉の情報を特定したからだという。おかげで、ゴヨウマツ、モミジ、ヤナギ、ヤマザクラといった樹木が色付き、大友氏も味わった四季の移ろいを感じさせてくれる。そして、景石は発掘した実物を使用したり、レプリカを配置。レプリカは発掘した本物の景石で型取りして復元し、その本物は遺跡保護のために埋め戻しているというから、“出来るだけ当時の姿に近づけるというこだわりを垣間見ることができる。

大友氏の歴史を体感しながら庭園鑑賞を

4年もの歳月をかけて再現した大友氏館跡庭園。その景色をじっくりと眺めることができるのが「南蛮BVNGO交流館」だ。“宗麟の生きた時代を体感できる”をコンセプトに、大友氏の歴史や宗麟の生涯を紹介する施設となっている。豊後府内の世界を大型スクリーンで紹介するコーナーや戦国時代の茶室を再現した部屋、CGで再現した大友館を見ることのできるVR体験ツアーなど、子どもから大人まで楽しめる要素が満載だ。そして庭園デッキは、復元した庭園を一望できる特等席。庭に面したベンチも設置されているから、時を忘れてじっくりと鑑賞しよう。
九州6ヵ国を治め一時代を築いた大友氏由来の地・大分。ここに来れば、その一端に触れることができ、偉人が愛した美しい景色に、新たなインスピレーションが湧いてきそうだ。


大友氏館跡庭園
[住所]大分県大分市顕徳町3-2-45 南蛮BVNGO交流館となり
[電話]大分市文化財課097-537-5682(南蛮BVNGO交流館は097-578-9191
[開園時間]9001700(入園は1630まで)
[休園日]月曜日(第1月曜、祝日、振替休日の場合は開園し、翌日休園)、祝日の翌日、年末年始(1228日~14日)
[料金]無料
[HP]https://www.city.oita.oita.jp/o204/20200605teienopen/2000605teienopen.html

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